赤川

あかがわAkagawa

全国1617位 ・ 約9,840人

赤川(あかかわ)は、安芸の名族であるが、そのほかにも二、三ある。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
あかがわ
ローマ字
Akagawa
全国順位
全国1617位
推計人数
約9,840人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

赤川をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Akagawa読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 安芸国(広島県)
  • 信濃国(長野県)
  • 越中国(富山県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

赤川(あかかわ)は、安芸(広島県)の名族であるが、そのほかにも二、三ある。……(中略)「安西軍策」に毛利方の赤川左京亮・赤川十郎左衛門元秀らを載せ、また「芸藩通志」に、峰村青樹山は赤川十郎左衛門元秀の居所、また備後国(広島県)世羅郡の項に赤川十郎左衛門の所領・小国村などが見える。 【2】信濃赤川氏 ― 桓武平氏土肥実平の後裔といい、政忠に至って信濃赤川の地に住み、子孫がこれをもって氏としたと称する。ただし寛政の呈譜には藤原姓とする。三郎右衛門は信長に仕えて著れ、その子は成利といい坂井氏に改めた。 【3】越中(富山県)の赤川氏 ― 赤川出雲守久次は越中新川郡広田郡東岩瀬の城主である。永正二年、長尾為景の麾下・金子監物に討たれて城が陥落した。 【4】徳島蜂須賀家の用人に赤川氏がある。赤河(あかがわ)は、奥州(東北地方)会我の建武元年六月の文書に、曾我彦三郎頭、同与次若党頭、号は赤河次郎、と載せている。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

赤川アカカハ安藝の名族なれど他にも二三あり。……安西軍策に毛利方赤川左京亮、赤川十郞左衞門元秀等を栽せ、又藝藩通志に、峰村靑樹山、赤川十郞左衞門元秀居る所、また備受國世羅郡條に赤川十郞左衞門が所領小國村など見えたり。 2信濃赤川氏、桓武平氏土肥實平の後裔なりと云ひ、政忠に至リ信濃赤川の地に住み、子孫よりて氏とすと稱す。されど寛政の呈譜には藤原姓とす。三郞右寄門信長に仕へ著はる、子の戌利坂井氏に改む。 3越中の赤川氏、赤川出雲守久次は越中新川郡廣田郡東岩瀬の城主なり。永正二年長尾爲景の麾下金子監物に討たれて城陷る。 4德島蜂須賀家の用人に赤川氏あり。赤河アカガハ奧州會我建武元年六月の文書に、曾我彥三郞頭、同與次若黨頭、號赤河次郞、と載せたり。

姓氏家系大辞典 第1巻 15コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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