桑波田

くわはたKuwahata

全国8378位 ・ 約985人

桑波田(くわはた)は、桑畑とも書く(次項参照)。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
くわはた
ローマ字
Kuwahata
全国順位
全国8378位
推計人数
約985人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

桑波田をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Kuwahata読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 薩摩国(鹿児島県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

桑波田(くわはた)は、桑畑とも書く(次項参照)。薩隅の息長姓の名族で、薩摩国(鹿児島県)日置(鹿児島)郡南郷城(水吉村)はこの氏の古城である。建久八年、万揚坊覚弁がいた。……(中略) 「地理纂考」に「永吉○南郷城、城主は桑波田孫六である。按ずるに、孫六の先祖・桑波田万揚坊覚弁が南郷を領して世襲し、覚弁は建久八年の内裏大番の触状に見える。 大永六年丙戌、島津勝久が南郷を島津忠良に加増したとき、勝久の命により孫六は南郷を島津忠良に譲った。すなわち孫六に命じてこれを守らせた。これより忠良の麾下に属した。 後に孫六は叛いて島津実久に党し、忠良はこれを討ち、桑波田河内・同式部が迎え戦って死し、城は陥落した。天久二年、富邑を永吉と改めた。同年八月、忠良は貴久にこの城を守らせた」と見える。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

桑波田クハハタ又桑畑ともあり、次條參照。薩隅、息長姓の名族にして、薩摩國日置(鹿兒島)郡南鄭城(水吉村)は此の氏の古城也。建久八年、萬揚坊覺辨あり。……地理纂考に「永吉〓南〓城、城主は桑波田孫六なり。按ずるに、孫六が先·桑波田萬揚坊覺辨·南郷を領して世襲、覺辨は建久八年の内裡大番の觸狀に見へたり。大永六年丙戌、島津勝久·南〓を島津忠良に加增ありし時に、勝久の命により、孫六·南〓を島津思良に讓る。卽ち孫六に命じて此を守らしむ。是より忠良の麾下に屬す。後孫六叛して、島津實久に黨し、忠良是を討ち、桑波田河內、同式部、迎へ戰つて死し、城陷る。天久二年、富邑を永吉と改む。同年八月、忠良·貴久をして當城を守らしむ」と見えたり。

姓氏家系大辞典 第2巻 485コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

桑波田と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

桑波田に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が桑波田の前後にある名字です。

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