丹波
たんばTamba
全国3032位 ・ 約4,350人
丹波(たんば・たにわ)は、丹波国は、また「旦波」(「古事記」)、「但波」(「倭姫世記」)、「丹婆」(「大同類聚方」)、「谿羽」(「三才図会」)などとも書き、「和…
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- たんば
- ローマ字
- Tamba
- 全国順位
- 全国3032位
- 推計人数
- 約4,350人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
丹波をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Tamba読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「丹波」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
巴
弓を射るとき腕に着ける鞆(とも)を象り、三つを渦に組んだ図案。
『姓氏家系大辞典』第4巻 126コマに「家紋三巴也」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 丹波国(京都府・兵庫県)
- 丹後国(京都府)
- 陸奥国(東北地方)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
丹波(たんば・たにわ)は、丹波国(京都府・兵庫県)は、また「旦波」(「古事記」)、「但波」(「倭姫世記」)、「丹婆」(「大同類聚方」)、「谿羽」(「三才図会」)などとも書き、「和名抄」は「太邇波」と注する。もとは丹後国(京都府)を併せて一国であった。 しかし丹後国にはかえって丹波郡があり、「和名抄」はさらに郡内に丹波郷を収める。すなわちこれが国名の起源地である。……(中略)そのほか、陸奥国(東北地方)白河郡(磐城(福島県・宮城県))に丹波郷、また大和国(奈良県)に丹波荘があって石上神領坪付に見える。また武蔵(東京都・埼玉県)・信濃(長野県)などにも存する。 【1】丹波之大県主 ― 丹波郡より竹野郡付近を領有した大県主であろう。「古事記」開化段に「この天皇、旦波之大県主、名は由碁理の女・竹野比売を娶りて、御子・比古由牟須美命を生み給う」と見える。名族であったことは明らかである。 この大県主については、筆者にはかつて述べた説がある。その一節を引く。「丹波と大和朝廷との関係は、開化朝から頻繁に見えるが、それより前、『古事記』鬱徳段に『当芸志比古命は、血沼之別、多遅麻之竹別、葦井之稲置の祖』とあって、皇裔の一枝が早くも三丹地方に下向していた消息を伝えている。 竹別は竹の別で、但馬美含郡竹野、すなわち国名と同じものであろう。つまり彦や公、または建と同様に、古代豪族の称号である。そうすると、社会組織の研究で述べたように、これらの称号が地名と重なるときは、その地の豪族を意味するのであるから、この人は玖賀の首長で、名が御笠であったことがわかる。」
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
丹波タンバタニハ丹波國は、又旦波(古事記)、但波(倭姫世記)、丹婆(大同類聚方)、谿羽(三才圖會)等に作り、和名抄、太選波と註す。もと丹後國を併せて一國た"。而して丹後國に反つて丹波郡ありて、和名抄、更に郡内に丹波〓を收む。卽ち國名の起原地たる也。……その他、陸奥國白河郡(磐城)に丹波〓、又大和國に丹波莊ありて、石上神領坪付に見〓。又武藏、信濃等にも存す。 1丹波之大縣主丹波郡より竹野郡附近を頷有せし大縣主ならむ。古事記開化段に「此の天皇·旦波之大縣主·名は由碁理の女·竹野比賣を娶りて、御子比古由半須美命を生み給ふ」と見ゆ。名族たりしや明かならん。此の大熊主については、予輩甞て說あり。其の一節を引かん。『丹波と大和朝廷との關係は、開化朝から類繁に見えるが、それより前、古事記鬱德段に「當藝志比古命は、血沼之別、多運麻之竹別、葦井之稻置の祖、」とあつて、皇裔の一枝·早く既に三丹地方に下向せられた消息を傳へて居る。竹別は竹の別で、但馬美含郡竹野卽ち國蓋し同もの、つまり彥や公、または建と同樣に、古代豪族の稱號である。さうすると社會組織の研究で述べたやうに、此れ等の稱號が地名と重る時には、其の地の豪族を意味するのであるから、此の人は玖賀の曾長で、名が御笠であつた事がわかる。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
丹波に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「丹」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が丹波の前後にある名字です。
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