春原
すのはらSunohara
ほかの読み: はるはら
全国2531位 ・ 約5,570人
春原(はるはら・すんのはら・すはら)は、武蔵国入間郡に春原庄がある。
1件の公開家系図に 1人
基本情報
- 読み
- すのはら ・ はるはら
- ローマ字
- Sunohara
- 全国順位
- 全国2531位
- 推計人数
- 約5,570人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
春原をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
「すのはら」と読む場合
Sunohara読みをそのまま写した形
「はるはら」と読む場合
Haruhara読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 武蔵国(東京都・埼玉県)
- 摂津国(大阪府・兵庫県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
春原(はるはら・すんのはら・すはら)は、武蔵国(東京都・埼玉県)入間郡に春原庄がある。宝亀十一年の「西大寺資財帳」に入間郡春原庄田図一枚を載せ、弘安二年の岩松隆兼文書には須半乃波良に作る。 また「新編風土記」に「春原庄。法恩寺年譜録に載せる宝治元年鎌倉将軍家より越生左馬允有高への下知状に『武蔵国入間郡春原庄広瀬名』と見える。また建治二年、越生太郎長経が法恩寺領寄附状に『武蔵国春原庄広瀬名の田在家』と見えた。また康応元年、浅羽豊楠丸が同寺へ寄附の状には春日原庄広瀬と書いたのは、たまたま誤り記したのであろう」とある。 また大里郡には「春原庄(須半乃波良庄)、万吉○の辺りであり、春の字音を用いる」といい、また高麗郡には「春原庄、入間郡今市村法恩寺年譜録に春原庄広瀬と見える」などと載せ、また上野(群馬県)にも春原庄が見える。 【1】春原連 ― 倭漢坂上氏の族であり、延暦三年七月の紀に「右少史正六位上高宮村主田使、および同真木山らに、姓を春原連と賜う」とある後で、後に高村忌寸姓を賜った者があり、高村の条を参照。 【2】春原首 ― 摂津(大阪府・兵庫県)の古族である。前項の氏との関係は詳らかでない。 【3】春原朝臣 ― 天智天皇の御裔であり、天智帝の皇子河島王の後である。大同元年五月の紀に「従四位上五百枝王が上表して言う、伏して望むらくは、この皇親を改め、かの臣民に就き、春原朝臣の姓を被り賜り、伏して願わくは、長く恩沢に浴し、終吉を一門に保ち、遠く孫謀に貽し、宗枝を万葉に栄えさせん。想いの至りに任えず、謹んで闕庭に詣り、表を奉じて以聞す、と。勅してこれを許す」と載せる。 また「公卿補任」に「天平六年十二月乙丑、参議正三位春原朝臣五百枝薨ず。従五位上安貴王の孫、正五位下市原の子、母は天武天皇の同胞妹なり云々。二十五年五月、上表して春原朝臣の姓を請い、これを許される」とあるより起こる。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
春原ハルハラスンノハラスハラ武藏入入郡郡に春原庄あり、寶亀十一年四大寺資財帳に入間郡樣原莊田圖一枚を載せ、弘安二年岩松隆兼文書には須半乃波良に作る○又新編風土記に「春原庄·法恩寺年譜錄に載せたる寶治元年鎌倉將軍家より越生左馬允有高への下知狀に『武蔵國入四郡春原庄廣瀨娜』とみゆ。及び建治二年、越生太郞長經が法恩寺領寄附狀に『武蔵國春原庄廣瀨名之田在家』とみえたり。又康應元年、淺羽豐楠丸が同寺へ寄附の狀には、春日原庄廣瀨と書きたるは、偶ま誤り記せしならん」と0又大里郡「春原庄(須半乃波良庄)、萬吉〓の邊なり、春の字音を用ゆ」と云ひ、又高麗郡に「春原庄·入間郡今市村法恩寺年譜錄に春原庄廣瀨と見ゆ」など載せ、又上野にも春原庄見ゆ。 1春原連倭漢坂上氏の族にして、延曆三年七月紀に「右少史正六位上高宮村主田使、及び同眞木山等に、姓を春原連と賜ふ」とある後にして、後に高村忌寸姓を賜へるものあり、高村條參照。 2春原首攝津の古族也。前項氏との關係·詳かならず。 3春原朝臣天智天皇の御裔にして、天智帝の皇子河島王の後也。大同元年五月紀に「從四位上五百枝王上表して日ふ、云々伏して望むらくは、此の皇親を改め、彼の臣民に就き、春原朝臣の姓を被り賜ひ、伏して冀くは、長く需澤に沐し、終吉を一門に保ち、遠く孫謀に貽し、宗枝を萬葉に榮えしめん。想情の至に任へず、謹んで圖庭に詣り、表を奉じて以聞すと。勅して之を許す」と載せ、また公癇補任に「天平六年十二月乙丑。參議正三位春原朝臣五百枝·薨ず。從五位上安貴王の孫、正五位下市原の子、母は天武天皇·同胞妹也、云々。二十五年五月、上表して、春原朝臣の姓を請ひ、之を許さる」とあるより起る。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
この名字の人々
同じ読みの名字
春原と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
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「春」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が春原の前後にある名字です。
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