春野
はるのHaruno
全国6896位 ・ 約1,340人
春野(はれ)は、「和名抄」に日向国諸県郡に春野○がある。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- はるの
- ローマ字
- Haruno
- 全国順位
- 全国6896位
- 推計人数
- 約1,340人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
春野をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Haruno読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 日向国(宮崎県)
- 但馬国(兵庫県)
- 筑後国(福岡県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
春野(はれ)は、「和名抄」に日向国(宮崎県)諸県郡に春野○がある。そのほか、但馬(兵庫県)などにこの地名が存する。 【1】百済族 ― 但馬国出石郡春野駅(「延喜式」)から起こったものか。天平宝字五年の紀に「百済人・面得○ら四人に、姓を春野連と賜う」と見え、その後「姓氏録」には右京諸蕃に収め、「春野連。百済速古王の孫・比流王より出る」と載せている。 【2】無尸の春野氏 ― 前項の氏の後か。「政事要略」巻六十七などに見える。 【3】筑後(福岡県)の春野氏 ― 三○郡の名族で、「筑後国志」に次のようにある。「春野屋敷。天明年中から、およそ七百年前、春野長左衛門という者の住んでいた所を、春野屋布と号して、堀の跡などが残っている。 春野順助はその子孫で、長左衛門以来代々の位牌などを数多く持ち伝えていたが、その家に心を病んだ婦人がいて寺へ持って行ってしまったとかで取り出し、どこかに隠したものか、今はなくなってしまった。 今順助が居住する所が、すなわちその屋布であって、今は地名の文字を転じて、原の古賀ということになった」……(中略)
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
春野ハレ和名抄、日向國諸縣郡に春野〓を收む。その他、但馬等に此の地名存す。 1春野連百濟族也。但馬國出石郡春野驛(延喜式)より起リしか。天平實字五年紀に「百濟人面得〓等四人に、姓を春野連と賜ふ」と見えたる後にて、姓氏錄には右京諸蕃に收め、「春野連。百濟速古王の孫比流王より出づる也」と載せたり。 2無尸の春野氏前項氏の後か。政事要略卷六十七等に見ゆ。 3筑後の春野氏三〓郡の名族にして、筑後國志に「春野屋敷。天明年中より、凡そ七百年前、春野長左衞門と云ふ者の住みける所を、春野屋布と號して、堀の跡など殘れり。春野順助は其の子孫にて、長左衞門以來代々の位牌ども、數多持ち傳へたりしが、彼の家に放心の婦有りて寺へ上りける由にて取出し、何くにかくしゝにや、今はなくなりたり。今順助が居住する處、則ち其の屋布にて、今は地名の文字を轉じて、原の古賀と云へる事にはなりたり」……
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
春野に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「春」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が春野の前後にある名字です。
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