大鹿
おおしかOoshika
全国3797位 ・ 約3,220人
大鹿(おおか・おおしか)は、大賀と通じて用いられる。
1件の公開家系図に 1人
基本情報
- 読み
- おおしか
- ローマ字
- Ooshika
- 全国順位
- 全国3797位
- 推計人数
- 約3,220人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
大鹿をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Ooshika読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 下総国(千葉県・茨城県)
- 越後国(新潟県)
- 丹波国(京都府・兵庫県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
大鹿(おおか・おおしか)は、大賀と通じて用いられる。伊勢発祥の大族であるが、異流というものもあるようだ。下総(千葉県・茨城県)・越後(新潟県)・丹波(京都府・兵庫県)などに大鹿村があり、中には「おおしか」と読むものもあるだろう。 【1】大鹿首 ― 「神名帳」に伊勢国(三重県)三重郡に大鹿三宅神社がある。三宅は屯倉であり、おそらくこの氏はこの屯倉の首であったと思われる。三宅社の傍らに二つの大古墳があり、大鹿塚という。○義紀に「伊勢大鹿首小能女」があり、敏達天皇の皇妃に上り、蒐名子夫人という。「古事記」には「伊勢大鹿首の娘、小熊子郎女」とある。布斗比売命と実王の御母である。「姓氏録」には未定雑姓、右京の部に「大鹿首、津速魂命三世の孫、天児屋根命の後である」と見える。 【2】大鹿臣 ― 大鹿首が後に臣姓を賜ったのだろうか。天平宝字五年六月紀に「大鹿臣子虫」という人が見える。 【3】大鹿宿禰 ― 大鹿首、または臣の後裔で宿禰を賜ったものである。「除目大成抄」に見え、「姓名録抄」には大賀宿禰とある。 【4】伊勢の大鹿氏 ― 大鹿首の後裔であり、伊勢の豪族である。「神宮雑事記」治暦三年の条に「河曲神戸の預、大鹿武則」、建久三年の条に「山辺御園の給主大鹿国忠」などが見え、また「東鑑」文治三年四月二十九日の条、公卿勅使伊勢国の家の雑事の勤否を散状した事に「介大鹿俊光、散位大鹿兼重、惣大判官代散位大鹿国忠」の署名がある。……(中略) 【6】丹波の大鹿氏 ― 氷上郡の豪族であり、「丹波志」に「大鹿氏、上ケ成松村、先祖を大鹿太郎太夫という。位牌に龍泉院殿普智天見居士、その屋敷跡は村から巽(南東)にあり、当字を大鹿という野である。子孫彦右衛門は今は久下・前田を名乗る」と見える。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
大鹿オホカオホシカ大賀と通じ用ひらる。伊勢發詳の大族なれど、異流と云ふもあるが如し。下總、越後、丹波等に大鹿村あり、內にはオホシカもあるべし。 1大鹿首神名帳伊勢國三重郡に大鹿三宅神社あり。三宅は屯倉なり、恐く此の氏は此の屯倉の首なりしと思はる。三宅社傍に二大古墳あり。大鹿塚と云ふ。〓義紀に「伊勢大鹿首小能女」あり、敏達天皇の皇妃に上り、蒐名子夫人と曰ふ。古事記には「伊勢大鹿首の女、小熊子郞女、」とあり。布斗比賣命と實王との御母也。姓氏錄には未定雜姓、右京の部に、「大鹿首、津速魂命三世の孫、天兒屋根命の後也、」と見ゆ。 2大鹿臣大鹿首が後に臣姓を賜ひしならんか。天平寶字五年六月紀に「大鹿臣子虫」と云ふ人見ゆ。 3大鹿宿禰大鹿首、又は臣の後の、宿禰を賜ひしもの也。除目大成抄に見ゆ、姓名錄抄には大賀宿禰とあり。 4伊勢の大鹿氏大鹿首の後裔にして、伊勢の豪族なり。神宮雜事記、治曆三年條に「河曲神戶の預、大鹿武則、」建久三年條に「山邊御園の給主大鹿國忠、」等見え、又東鑑文治三年四月廿九日條、公卿勅使伊勢國辱家雜事勤否散壯事に「介大鹿俊光、散位大鹿兼重、惣大判官代散位大鹿國忠、」の署名あり。……6丹波の大鹿氏氷上郡の豪族にて、丹波志に「大鹿氏、上ケ成松村、先祖大鹿太郞太夫と云ふ。位牌に龍泉院殿普智天見居士、其の屋敷跡は村より巽に、當字に大鹿と云野也。子孫彥右衞門にて今は久下、前田を名乘る、」と見ゆ。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
この名字の人々
同じ漢字を使う名字
大鹿に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「大」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が大鹿の前後にある名字です。
存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →
