和賀
わがWaga
全国3802位 ・ 約3,210人
和賀(わが)は、陸中に和賀郡、但馬に和賀庄がある。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- わが
- ローマ字
- Waga
- 全国順位
- 全国3802位
- 推計人数
- 約3,210人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
和賀をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Waga読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 陸中国(岩手県・秋田県)
- 但馬国(兵庫県)
- 下総国(千葉県・茨城県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
和賀(わが)は、陸中(岩手県・秋田県)に和賀郡、但馬(兵庫県)に和賀庄がある。また下総(千葉県・茨城県)などにもこの地名がある。 【1】和買君(わかいのきみ)― 前の項の和我君と同じ。次の項の和賀も関係があるだろうか。 【2】清和源氏多田氏族 ― 陸中国和賀郡の豪族で、和賀城に拠る。出自については、一説に摂津守頼光の○(この一字は原文が崩れている)多田大和守頼親の裔という。 また別の説に「頼朝が奥州(東北地方)下向のとき、刈田郡小田島で一人の女性(小田島五郎左衛門尉平義春の娘)を寵愛し、その女性が男子を生んだ。その後、建仁二年になって宇都宮頼綱がその子を伴い将軍に○(この一字は原文が崩れている)し、頼家から名を多田式部大輔頼忠と改めたという。これがこの氏の祖である」(「韓貫家伝」)とする。 また一説に「頼朝が伊東結親のもとにいたとき、帖重の娘に通って生まれた男子千鶴(忠頼、式部大輔)が和賀に○(この一字は原文が崩れている)、和賀御所と称した、これがこの氏の祖である」ともいうが、いずれも信じがたい。 頼忠から十六代、民部少輔義明、その子薩摩守義治は天正八年に死去し、長男は早世、次男孫次郎広恩は稗貫氏の嗣となり、三男又次郎義忠、四男主馬忠親、忠親の子礼弘らが見える。……(この先は原文の行が崩れていて読み取れない)多田・宮手・本堂などの項を参照。 【3】氏人 ― 「東鑑」巻四十六に和賀五郎右衛門尉、また和賀三郎兵衛尉らが見え、また中尊寺の正応元年の鎌倉下知状に和賀右衛門五郎行盛、建武元年十二月の津軽降人交名に「和賀右衛門五郎がこれを預る」とある。 ……(中略)また「奥南旧指録」に「和賀の当主多田又次郎義忠が、天正十八年十月、二子の城代後藤半七を討ち取った」と載せ、また「永慶軍記」に「天正十九年の秋、和賀薩摩守義忠が敗れて土民に殺された」とある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
和賀ワガ陸中に和賀郡、但馬に和賀庄あり。又下總等にも此の地名あり。 1和買君前條和我君に同じ。次項和賀も關係あらんか。 2〓和源氏多田氏族陸中國和賀郡の豪族にして、和賀城に據る。出自に關しては、一に攝津守賴光の第多田大和守賴親の裔と云ひ、又常說に「頓朝·奥州下向の時、刈田郡小田島にて一女(小田島五郞左衞門尉平義春の女)を寵し、其の女·男子を生む。其の後、建仁二年に至り、宇都宮頼綱·其の子を伴ひ、將軍に謂し、賴家より名を多田式部大輔賴忠と奥へらる。これ此の氏の祖也」(韓貫家傳)と。又一に「頼朝·伊東結親の許に在りし時、帖重の女に通ひて生める男子千鶴(忠賴、式部大輔)·和賀に達れて、和賀御所と云ふこれ此氏の祖也」と共に最も信じ離し。賴忠より十六代、民部少輔義明、其の子薩摩守義治は天正八年死し、長男は早世、次男孫次郞廣思は稗貫氏の嗣となリ、三男又次耶義忠、四男主馬忠親、忠親の子禮弘等見ゆ多田。四月十七達曹、宮手、本堂等の條參照。 3氏人東盤卷四十六に和賀五郞右衞門尉.また和賀三郞兵衛尉等見え、又中尊寺正應元年鎌倉下知狀に、和賀右衞門五郞行盛、建武元年十二月津輕降人交名に「和賀右衞門五郞·之を預る」と。……又奥南舊指錄に「和賀の著主多田又次郞義思·天正十八年十月、二子の城代後藤半七を討取る」と載せ、又永慶軍記に「天正十九年の秋、和賀薩摩守義忠·敗れて土民に殺さる」と。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
和賀に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「和」の字を含む名字
「和賀」で始まる・和賀を含む名字
和賀の字をそのまま含む、より長い名字です。
同じくらいの多さの名字
全国順位が和賀の前後にある名字です。
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