萱野
かやのKayano
全国3806位 ・ 約3,210人
萱野(かやの)は、大和・摂津・伊勢・上総・近江・肥後などにこの地名がある。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- かやの
- ローマ字
- Kayano
- 全国順位
- 全国3806位
- 推計人数
- 約3,210人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
萱野をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Kayano読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 摂津国(大阪府・兵庫県)
- 上総国(千葉県)
- 近江国(滋賀県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
萱野(かやの)は、大和(奈良県)・摂津(大阪府・兵庫県)・伊勢(三重県)・上総(千葉県)・近江(滋賀県)・肥後(熊本県)などにこの地名がある。 【1】「撰解文集」に萱野後子丸が見え、古い氏であるようだ。 【2】佐々木氏流 ― 近江国愛知郡萱野邑から起こる。佐々木氏の一族で、後裔は紀伊国(和歌山県)にある。「続風土記」の伊都郡相賀荘○水村(原文が崩れている)旧家地士・萱野孫四郎の条に次のようにある。 「江州佐々木義秀の一族・萱野左大夫の末裔である。左大夫は豊太閤の命を受けて朝鮮に出兵したとき、肥前名護屋中島の隊に属した。左大夫の子・十郎兵衛秀光は、事情あってこの郡の神野村に潜居した。 当時、保田の郡司某が高野山に敵対しており、秀光は山徒に味方して戦死した。秀光の子を伊勢松という。山徒はこれを哀れみ、○水村に移住させ、成長して名を改めて孫左衛門澄と称した。 興山寺の応昌法印は秀光の忠死に感じ、除地若干を義澄に与えて、以後ここに居住させたという。この家の庭には杠谷樹および手水鉢があり、真田幸村から贈られた遺物であるという。幸村が九度山に住んでいたとき、親しく交わっていたという」と載せている。 【3】清和源氏土岐氏族 ― ○○(原文のこの部分は崩れている)、「土岐系図」に「池田頼世の子・頼益(萱野と号す)」と見えるが、これは萱津の誤りであり、その項を見よ。ただし次の項の氏はこの後裔であると称する。 【4】摂津の源姓 ― 豊島郡萱野邑から起こった豪族で、鎌倉時代から芝村一帯の地を領した。その後裔・恒時は伊丹城主荒木村重に属したが、天正年中に荒木氏が滅び所領を失った。その孫恒産に至って大島氏に仕えた。恒産三代重利に二子があり、長男は重道、次男を重実という。これが赤穂義士萱野三平である。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
萱野カヤノ大和、攝津、伊勢、上總、近江、肥後等に此の地名あり。 1撰解文集に萱野後子丸見ゆ、古き氏なるが如し。 2佐々木氏流近江國愛知郡萱野邑より起る。佐々木氏の族にして、後裔紀伊國にあり。續風土記、伊刀郡相賀莊〓水村舊家地士·萱野孫四郞條に「江州佐々木義秀の一族萱野左大夫の末裔なり。左大夫·豐太閤の命を奉じて、朝鮮に役する時、肥州名護屋中島の隊に屬す。左大夫の一子十郎兵衞秀光·故ありて、當郡神野村に潜居す。時に保田の郡司某、高野山に敵す。秀光山徒に與力して戰死す。秀光の一子を伊勢松といふ。山徒これを偉み、〓水村に移住せしめ、生長して名を改めて、孫左衞門澄といふ。興山寺應昌法印·秀光の忠死を感じて、除地若干を義澄に與へて、後玆に居住すといふ。此の家の庭中、杠谷樹、及び手水鉢あり。眞田幸村より贈りし遺物なりしといふ。幸村·九度山に住せし時、睦しく交はりたりといふ」と載せたり。 3〓和源氏土岐氏流一木、土岐系圖に「池田賴世の子·頼益(號萱野)」と見ゆれど、萱津の誤なり、その條を見よ。但し次項の氏は此の後裔なりと稱す。 4攝津の源姓豐島郡萱野邑より起りし豪族にして、鎌倉時代より芝村一帶の地を領す。其の後裔恒時·伊丹城主荒木村重に屬せしが、天正年中茫木氏亡びて所領を失ふ。其の孫恒產に至り、大島氏に仕ふ。恒產三代重利に二子あり、長は重道にして次男を重實と云ふ、これ赤穗義士萱野三平也。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
萱野と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
萱野に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「萱」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が萱野の前後にある名字です。
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