丸に片喰

三田

みたMita

全国684位 ・ 約2.9万人

三田(みた/さんだ)は、前の項を参照。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
みた
ローマ字
Mita
全国順位
全国684位
推計人数
約2.9万人
全国比率
日本人のおよそ0.023%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

三田をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Mita読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「三田」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第6巻 65コマに「家紋丸に鳩酸草、釘拔8桓武平氏相馬氏族武藏圓荏原郡三田賣龜元道田…」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 伊賀国(三重県)
  • 美濃国(岐阜県)
  • 陸奥国(東北地方)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

三田(みた/さんだ)は、前の項を参照。そのほか『和名抄』の伊賀国(三重県)阿拝郡に三田郷を収め、次に美濃国(岐阜県)山県郡に三田郷、次に陸奥国(東北地方)刈田郡(陸前(宮城県・岩手県))に三田郷、次に越前国(福井県)丹生郡に三太郷(高山寺本には三太美に作る。おそらく三田、訓の「みた」の訛りかという)、次に因幡国(鳥取県)智頭郡に三田郷、また隠岐国(島根県)知夫郡に三田郷を収めて「美多」と注記する。次に安芸国(広島県)高田郡に三田○があって「美多」と読む。 そのほか武蔵(東京都・埼玉県)・安芸に三田庄、また摂津(大阪府・兵庫県)・和泉(大阪府)・相模(神奈川県)・上総(千葉県)・常陸(茨城県)などにこの地名があり、多くは屯田のあった地と考えられる。 【1】三田首 ― 任那族で、皇室領である屯田(御田)の管理者、すなわち三田部の伴造家と考えられる。大宝元年八月紀に「大倭国忍海郡の人・三田首五瀬を対馬島へ遣わす」などと見える。 【2】三田昆登 ― 前項の三田首に同じ。宝亀元年紀に「三田毘登家麻呂」がある。道田連の姓を賜わった。 【3】無姓の三田氏 ― 豊前(福岡県・大分県)の豪族だが、罪があるので姓を略記したのだろう。天平十二年九月紀に「(賊徒)大長三田塩籠」があり、広嗣に従った。……(中略) (摂津三田城について)赤松律師則祐の属城で、淡河・岩岸などの城とともに官軍と合戦した。後に荒木氏の属城となり、荒木平大夫重堅が城主となって一万石を領した。天正十年冬、山崎源太左衛門(志摩守)片家が秀吉からこの城を賜わって二万三千石を領した。 【5】河内(大阪府)の三田氏 ― 志紀の名族に見える。 (続いて)水野氏 ― 豊臣秀頼の臣・水野庄左衛門の子孫である。庄左衛門は元和の役に死し、その子・浄久は大坂伏見呉服町に住み、母の姓を冒して三田七左衛門と称し、大文字屋という。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

三田ミタサンダ前條參照。その他、和名抄、伊賀國阿拜郡に三田郷を收め、次に美濃國山縣郡に三田綿、次に陸奥國刈田郡(陸前)に三田郷、次に感前國丹生郡に三太郞、高山寺本には三太美に作る、蓋し三田、訓美太の訛かと云ふ。次に因幡國智頭郡に三田郷、又隱岐國知立郡に三田郷を收め、美多と註す。次に安藝國高田郡に三田〓ありて美多と訓ず。その他、武藏、安藝に三田庄、また攝津、和泉、相摸、上總、常陸等に此の地名存す、多くは屯田のありし地と考へらる。 1三田首任那族にして、皇室領なる屯田(御田)の管理者、即ち三田部の伴造家と考へらる。大實元年八月紀に「大倭國忍海郡人三田首五瀨を對馬島に遺はす」など見ゆ。 2三田昆登前項三田首に同じ。賣龜元年紀に「三田毘登家麻呂」あり。道田連姓を賜ふ。 3無尸の三田氏豐前の豪族なれど、罪あればカバネを略記せしならん。天平十二年九月紀に「(賊徒)大長三田鹽籠」あリ、廣嗣に從ふ。……赤松律師則祐の屬城にして、淡河、岩岸等の城と共に官軍と合戰す。後荒木氏の屬城となり、荒木平大夫重堅、城主となり一萬石を領す。天正十年冬、山崎源太左衞門(志摩守)片家·秀吉より當城を賜ひ二萬三千石を領す。 5河内の三田氏志紀の名族に見ゆ。と水野氏、豐臣秀頼の臣水野庄左衞門の後也。庄左衞門·元和の役に死し、其の子淨久·大阪伏見吳服町に住み、母姓を習して三田七左衞門と稱し、大文字屋と云ふ。

姓氏家系大辞典 第6巻 65コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

三田と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

三田に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

「三田」で始まる・三田を含む名字

三田の字をそのまま含む、より長い名字です。

同じくらいの多さの名字

全国順位が三田の前後にある名字です。

存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →