板倉
いたくらItakura
全国680位 ・ 約2.9万人
板倉(いたくら)は、越後国頸城郡に板倉○があり「以多久良」と注記する。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- いたくら
- ローマ字
- Itakura
- 全国順位
- 全国680位
- 推計人数
- 約2.9万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.023%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
板倉をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Itakura読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「板倉」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
巴
弓を射るとき腕に着ける鞆(とも)を象り、三つを渦に組んだ図案。
九曜
中央の星のまわりに、八つの星を丸く配した図案。
花菱
四弁の花を、菱形になるように組んだ図案。
『姓氏家系大辞典』第1巻 193コマに「家紋左巴三頭、九曜巴、菊巴、花菱」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 越後国(新潟県)
- 備中国(岡山県)
- 下野国(栃木県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
板倉(いたくら)は、越後国(新潟県)頸城郡に板倉○があり「以多久良」と注記する。また備中国(岡山県)賀夜郡に板倉郷があり「伊多久良」と読む。この氏の中にはこれらから起こったものもあるが、板倉侯は下野(栃木県)の板倉から起こったという。 【1】足利流 ― 下野国足利郡の板倉邑から起こった。『尊卑分脈』に「足利泰氏―義顕(板倉二郎)」と見える。松平家臣の板倉はこの子孫で、義顕は後に渋川と改め、頼重に至って再び板倉を称し、勝重は再び渋川を称したが、後にまた板倉に改めたという。……(中略) 勝重のことは『藩翰譜』に「伊賀守源勝重は、陸奥守義家朝臣の五代の孫、足利宮内少輔泰氏の二男・板倉五郎義顕の後胤である。義顕はまた渋川と名乗る。その末葉が三河国(愛知県)額田郡小美村の住人・八右衛門尉好重の時にあたって、同国の松平大炊介好景に属し、永禄四年四月十五日、好景とともに吉良義昭と戦って討たれた。 好重に男子三人があり、嫡男・杢右衛門尉忠重は好景の男・故主殿助伊忠に仕えた。伊賀守勝重は好重の二男で、幼い時に僧となり、この国の夏山という所の禅院に候っていた。……(中略)定重が討死した後、徳川殿の仰せ事があって、勝重は還俗し、初め渋川と名乗り、また板倉と改めて四郎右衛門尉と申した」とある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
板倉イタクラ越後國頭城郡に板倉癖あり、以多久良と註す。又備中國賀夜郡に板倉郷あり、伊多久良を訓ず。此の氏中には此等より起りしもあれど、板倉侯は下野板倉より起るとぞ。 1-足利流下野國足利郡板倉邑より起る。尊卑分脈に「足利泰氏-義顯(板倉二郞)」と見ゆ。松平家臣板倉は此の後にて、義顕後に達川と改め、賴重に至リ又板倉を稱し。勝重復澁川を稱せしも後又々板倉に改むと云ふ。……勝重の事は藩翰譜に「伊賀守源勝重は、陸奥守義家朝臣五代の孫、足利宮内少輔泰氏の二男、板倉五郞義顯の後胤なり。義顯また澁川と名のる、それが末葉、三河國額田郡小美村の住人八右奮門尉好重が時に當りて、同國松平大炊介好景に屬して、永祿四年四月十五日、好景と共に吉良義昭と戰ひて討れぬ好重男子三人あり、嫡男杢右衞門尉忠重は、好景の男故主殿助伊忠に仕ふ。伊賀守勝重は、好重が二男にて、幼き時當となり、當國夏山といふ所の禪院にぞ候ひける。……定重打死したりし後、德川殿の仰せ事ありて、勝重運俗し、初め澁川と名のる、又板倉と改めて、四郞右衞門尉とぞ申ける。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
板倉に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「板」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が板倉の前後にある名字です。
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