竹口
たけぐちTakeguchi
全国2606位 ・ 約5,340人
竹口(たけぐち)は、武熊(たけくま。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- たけぐち
- ローマ字
- Takeguchi
- 全国順位
- 全国2606位
- 推計人数
- 約5,340人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
竹口をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Takeguchi読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 常陸国(茨城県)
- 肥前国(佐賀県・長崎県)
- 信濃国(長野県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
竹口(たけぐち)は、武熊(たけくま。また竹熊とも書く)。常陸国(茨城県)那珂郡(茨城郡)竹隈邑から起こる。この地は薬王院応安元年文書に、山本○内武熊邑と見える。 【1】秀郷流藤原姓那珂氏族 ― 常陸の豪族で、新編国志に「武熊。那珂郡武熊村より出る(今の茨城郡水戸府下武熊町)。江戸氏の族である。江戸通景の二子・通常は肥前守で、武熊氏となった(戸村本系図)。文亀二年九月、武熊父子二人、通雅に従い佐竹義舜と戦って死んだ者がある(加倉井妙徳寺記)。永正中、武熊孫次郎があり、大永四年に弾正忠があり(薬王院過去帳)、五年に肥前守があり、川崎観音寺の本尊を修造した(吉沼観音台座館)」などと見える。 【2】この氏の人は、六地蔵過去帳に武熊信州(長野県)・竹熊孫四郎などが見え、また和光院過去帳に武熊信濃守・武熊筑前守老母などを挙げる。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
竹口タケグチ武熊タケクマまた竹熊に作る。常陸國那珂郡(茨城郡)竹隈邑より起る。この地は藥王院應安元年文書に、山本〓內武熊邑と見えたり。 1秀〓流藤原姓那珂氏族常陸の豪族にして、新編國志に「武熊。那珂郡武熊村よリ出づ(今茨城郡水戸府下武熊町)。江戶氏の族なり。江戶通景の二子通常·肥前守、武熊氏たり(戶村本系圖)。文亀二年九月.武熊父子二人、通雅に從ひ、佐竹義舜と戰つて死するものあり(加倉井妙德寺記)。永正中、武熊孫次郞あり、大水四年に彈正忠あり(藥王院過去帳)、五年肥前守あり、川崎觀音寺本尊を修造す(吉沼觀音臺座舘)」など見ゆ。 2此の氏人は、六地藏過去帳に武熊信州、竹熊孫四郞等見え、又和光院過去帳に武熊信濃守、武熊筑前守老母等を擧ぐ。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
竹口と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
竹口に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「竹」の字を含む名字
「竹口」で始まる・竹口を含む名字
竹口の字をそのまま含む、より長い名字です。
同じくらいの多さの名字
全国順位が竹口の前後にある名字です。
存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →
