千賀
せんがSenga
全国2601位 ・ 約5,360人
千賀(ちが)は、志摩などにこの地名がある。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- せんが
- ローマ字
- Senga
- 全国順位
- 全国2601位
- 推計人数
- 約5,360人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
千賀をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Senga読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 志摩国(三重県)
- 尾張国(愛知県)
- 相模国(神奈川県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
千賀(ちが)は、志摩(三重県)などにこの地名がある。 【1】源姓 ― 志摩国千賀浦から起こる。太神宮附属職掌人家系に「(御厨案主)千賀・源朝臣、本姓は源、志摩国答志郡千賀から起こる。初代は道伯」と見える。永禄の頃、千賀志摩守があり、小浜の項を見よ(「志陽略記」)。また北畠分限帳に千賀又左衛門を挙げる。 【2】尾張(愛知県)の千賀氏 ― 知多郡の豪族で、永享記に千河殿と見える。もと志摩鳥羽の士であった。この郡に来て師崎村に居り、孫兵衛重親に至って参河の戸田氏に敗れたが、後に徳川氏に属し、関ヶ原の役では九鬼氏の海船を破った。子孫は尾州侯に仕えた。天野信景は「千賀は、もと千川で九鬼氏の族である」と言う。また千賀孫兵衛は、小浜・向井などの諸氏とともに相州(神奈川県)三浦郡三崎に居り、水軍の隊長であった。 【3】丹後(京都府)の千賀氏 ― 奥謝郡の豪族で、この郡の岩滝山は千賀常陸守が拠った地という。この人は初め義輝・義昭に仕え、後に色松丸の臣となった。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
千賀チガ志摩等に此の地名あり。 1源姓志摩國千賀浦より起る。太神宮附屬職掌人家系に「(御厨案主)千賀·源朝臣、本姓源、志摩國答志郡千賀より起る。初代道伯」と見えたり。永祿の頃、千賀志摩守あり、小濱條を見よ(志陽略記)。また北畠分限帳に千賀又左衞門を擧ぐ。 2尾張の千賀氏知多郡の豪族にして、永享記に千河殿と見ゆ。もと志摩鳥羽の士也。本郡に來り師崎村に居り、孫兵衞重親に至り、參河戶田氏に敗れしも、後德川氏に屬し、關ケ原の役、九鬼氏の海船を破る、子孫尾州侯に仕ふ。天野信景·云ふ「千賀は、もと千川にて九鬼氏の族也」と。又千賀孫兵衞は、小演、向井等の諸氏と共に、相州三浦郡三崎に居りて、水軍の隊長たりき。 3丹後の千賀氏奥謝郡の豪族にして、當郡岩瀧山は千賀常陸守の據りし地と云ふ。この人·初め義輝義昭に仕へ、後色松丸の臣となる。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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