石堂

いしどうIshidou

全国2808位 ・ 約4,840人

石堂(いしどう)は、石塔(いしとう)と通じて用いられることが少なくない。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
いしどう
ローマ字
Ishidou
全国順位
全国2808位
推計人数
約4,840人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

石堂をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Ishidou読みをそのまま写した形Ishidoパスポート(ヘボン式)

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 陸奥国(東北地方)
  • 岩代国(福島県)
  • 磐城国(福島県・宮城県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

石堂(いしどう)は、石塔(いしとう)と通じて用いられることが少なくない。参照せよ。……(中略) 石堂入道とは少輔四郎義房のことで、康永の頃の文書には「宮内少輔四郎入道」と見える。入道して秀慶と号し、奥州(東北地方)における武家方の大将であった。秀慶はその子義元とともに奥州国府に拠って、伊達以下の官軍と争ったが、その後、吉良貞家、畠山高国を奥州探題として下し、石塔に代わらせた。 「余目旧記」に「中頃、奥州には四探題である。吉良殿、畠山殿、斯波殿、石堂殿とて四人がおられた」とあるのはこれをいうのである。石堂氏はなお「応永記」以下にも多く見える。 【2】岩代(福島県)の石堂氏 ― 北会津郡石堂村より起こるという。磐城(福島県・宮城県)にも現存する。 【3】陸前(宮城県・岩手県)の石堂氏 ― 玉造郡鳴子村の古塁、「封内記」に……(引用はここで途切れている)

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

石堂イシダウ石塔(イシタフ)と云ふと通じ用ふる事尠からず、參照せよ。……石堂入道とは少輔四郞義房の事にして、康永頃の文書には「宮内少輔四郞入道」と見ゆ、入道して秀慶と號す、奥州に於ける武家方の大將なりき。秀慶その子義元と共に奥州國府に據りて、伊達以下の官軍と爭ひした、後吉良貞家、畠山高國を奥州探題として下し石塔に代らしむ。餘目舊記に「中頃奧州に四探題也、吉良殿、畠山異な、斯波殿、石塔殿とて四人御座候」とあるは之を云ふなり。石堂氏は猶ほ應永記以下にも多く見ゆ。 2岩代の石堂氏北會津郡石堂村より起ると云ふ。磐城にも現存す。 3陸前の石堂氏玉造郡鳴子村古壘、封内記に……

姓氏家系大辞典 第1巻 175コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

石堂と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

石堂に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が石堂の前後にある名字です。

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