蔦

藤堂

とうどうToudou

全国2267位 ・ 約6,420人

藤堂(とうだう)は、近江藤堂氏の出自については諸説がある。

2件の公開家系図に 2人

基本情報

読み
とうどう
ローマ字
Toudou
全国順位
全国2267位
推計人数
約6,420人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

藤堂をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Toudou読みをそのまま写した形Toudoパスポート(ヘボン式)

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「藤堂」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第4巻 255コマに「家紋蔦、丸に鳩酸草」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 近江国(滋賀県)
  • 美作国(岡山県)
  • 豊後国(大分県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

藤堂(とうだう)は、近江藤堂氏の出自については諸説がある。今これを列挙する。 【1】中原姓 ― 近江国(滋賀県)愛智郡長野○藤堂邑から起こったもので、当国中原氏の一族という。「なかはら」の項を見よ。「歴名土代」に「藤堂美作守中景長(文明九年二月十三日、従四位下)」とあり、また「花押藪」に中原とある。 【2】佐々木氏族 ― 同国犬上郡藤堂村から起こる。在士村八幡宮に藤があり、開花の時、神職が当郡でこの花を藤堂家に贈った。藤堂の名は、この藤から起こったという(「輿地志略」)。佐々木氏の族高久の裔という。 【3】平姓 ― 「中興系図」に平姓とする。 【4】藤原姓 ― 「寛政系譜」はこの氏を藤原氏の支流に収める。家譜に「先祖三河守景盛は、近江国犬上郡数村を領し、初めて藤堂を称した。これより代々続き、豊後守景富にいたって功が多かったので、秀吉から所領の地を賜り、秀長からも新恩の地を加えられた(秀吉より千石、秀長より三百石を給い、すでに四千六百石)」とある。 また「その後、勢州(三重県)松ヶ崎・尾州(愛知県)小牧の功により、秀長がまた所領の地を加え賜った(紀伊(和歌山県)・伊賀(三重県)の国で五千四百石を加え、一万石を領したという)。こうして紀伊・阿波(徳島県)などの乱を平げ、筑紫の陣では日向国(宮崎県)の先陣として敵を破った」とある。 初め秀長大納言は、丹羽五郎左衛門尉長秀の二男仙丸を養って子とした。天正十六年、秀吉の仰せにより、仙丸をもって高虎の子となし、藤堂宮内少輔高吉と称した。秀長はまた高吉に所領の地を与えた(二万石)。天正十九年四月二十二日、秀長が薨じて、猶子秀俊が家を継いで中納言に任じられた。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

藤堂トウダウ近江藤堂氏の出自につきては諸說あり、今これを列擧すべし。 1中原姓近江國愛智郡長野〓藤堂邑よリ起りしにて、當國中原氏の族なりと。ナカハラ條を見よ。歷名土代に「藤堂美作守中景長(文明九、二、十三、從四位下)」を載せ、又花押藪に中原とあり。 2佐々木氏族同國犬上郡藤堂村より起在士村八幡宮に藤あり。る佐々木氏の族高久の裔なりと。開花の時、神職·當郡此の花を藤堂家に贈る。藤堂の名は、此の藤より起れり(與地志略)と。 3平姓中興系圖に平姓とす。 4藤原姓寛政系譜·此の氏を藤原氏支流に收め、家譜に「先祖三河守景盛、近江國犬上郡數村を領し、初めて藤堂を稱す。是より連綿して、豐後守景富-同景先懸して、其の功多ければ、秀吉より所領の地を賜ひ、秀長又新恩の地を加へらる(秀吉よリ千石、秀長より三百石を給ひ、既に四千六百石)。其の後、勢州松が崎、尾州小牧の功に依りて、秀長また所領の地を加へ賜はる(紀伊、伊賀の國にて、五千四百石を加へ、萬石を領せしといふ)。かくて紀伊、阿波等の亂を平げ、筑紫の陣に日向の國の先陣して敵を破る。初め秀長大納言、丹羽五郞左衞門尉長秀が二男仙丸を養ひて子よう。天正十六年、秀吉の仰にて、仙丸を以て高虎が子となされ、藤堂宮内少輔高吉と申す。秀長又高吉に所領の地を與へらる(二萬石)。天正十九年四月廿二日秀長薨じて、猶子秀俊、家を繼ぎて、中納言に任ず。

姓氏家系大辞典 第4巻 255コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

この名字の人々

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藤堂と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

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