渋沢
しぶさわShibusawa
全国2261位 ・ 約6,440人
渋沢(しぶさは)は、秀郷流藤原姓波多野氏流で、「松田系図」に「筑後守遠義―波多野次郎義通―義和(渋沢)」とある。
1件の公開家系図に 8人
基本情報
- 読み
- しぶさわ
- ローマ字
- Shibusawa
- 全国順位
- 全国2261位
- 推計人数
- 約6,440人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
渋沢をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Shibusawa読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 筑後国(福岡県)
- 信濃国(長野県)
- 武蔵国(東京都・埼玉県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
渋沢(しぶさは)は、秀郷流藤原姓波多野氏流で、「松田系図」に「筑後守遠義―波多野次郎義通―義和(渋沢)」とある。 【2】雑載 ― おそらく前項と同族であろう。近い世に実業家の巨頭渋沢栄一があり、功により子爵を賜った。信濃(長野県)などにも存する。その子は篤二である。またこの氏は武蔵(東京都・埼玉県)にも存する。 (このあと原文は次の見出し「十三」の記事に移る) 十三(じふさん・とさ)は、十三湊(十三邑)から起こる。長爾散南公が占拠した地かという。この地は昔、陸奥国(東北地方)津軽郡十三といった。……(この先は原文の行が崩れていて読み取れない)「にさなむ」の項を見よ。 【1】安倍姓 ― 安東氏がのちにこの地にあった。……(中略) 【2】秀郷流藤原氏 ― 一説に、大浦津軽氏の祖はこの地にあったという。すなわち「可足記」に「津軽真祖は左衛門尉藤原秀栄と申し、十三に居られたので、十三の左衛門尉殿とも申した。御子息秀元の代、九郎判官云々」とあり、また「新撰国志」に……(引用はここで途切れている)
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
澁澤シブサハ,秀〓流藤原姓波多野氏流松田系圓に「筑後守遠義-波多野次郞義通-義和、(澁澤)」と見えたり。 2は、雜載蓋し前項の奇か。近き世、實業家の巨頭澁澤榮一功を以つて子爵を野、賜ふ。信濃等に存す。その子篤二也。此の氏、武藏、上十三湊(十三邑)より起る。長爾散南公の占據せし地かと云ふ。ジフサントサこの地は古へ陸奥國津輕郡十三蝦夷曾ニサナム條を見よ。 1安倍姓安東氏下りて安東氏·此の地にあり。……2秀〓流藤原氏一說·大浦津輕氏の祖は此の地にありたりと云ふ卽ち可足記に「津輕眞祖は左衞門尉藤原秀榮と申し餘.十三に居られ候故、十三の左衞門尉殿とも申し候。御子息秀元御代、九郞判官云々」と載せ、また新撰國志に……
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
この名字の人々
同じ読みの名字
渋沢と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
渋沢に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「渋」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が渋沢の前後にある名字です。
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