田草川

たくさがわTakusagawa

全国7148位 ・ 約1,270人

田草川(たけさがわ)は、甲斐国山梨郡の名族で、清和源氏曾根氏の○・善次が、当郡牛奥村に来住し、牧野将監の娘を娶って、子孫が相伝えたという。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
たくさがわ
ローマ字
Takusagawa
全国順位
全国7148位
推計人数
約1,270人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

田草川をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Takusagawa読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 甲斐国(山梨県)
  • 武蔵国(東京都・埼玉県)
  • 陸中国(岩手県・秋田県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

田草川(たけさがわ)は、甲斐国(山梨県)山梨郡の名族で、清和源氏曾根氏の○・善次が、当郡牛奥村に来住し、牧野将監の娘を娶って、子孫が相伝えたという。また八代郡相奥村にも存在する。 また武蔵国(東京都・埼玉県)多摩郡にもあり、「新編風土記」朽久保条に「田草川新左衛門という者が甲州武田家に仕え、武田氏が滅亡した後、天正十一年に東照宮(徳川家康)から御朱印を賜った。そのほか信玄および北条氏照の朱印状の文書もある。(この先、原文の文字が欠けていて読み取れない)住む所に土着したのがいつのことかは定かでないが、とにかく古い家であることは間違いない」と見える。 田早川(たくさがわ)は、前条の氏に同じ。田久佐利(たくさり)は、陸中(岩手県・秋田県)の名族で、次条の氏に同じ。多久佐利(たくさり)も同上。 田鎻(たくさり)は、陸中国門伊郡田領邑から起こる。門伊氏の一族で、清和源氏鎮西八郎為朝の後裔と伝える。「奥南旧指録」に見える。詳しくは「ヘイ」の項にある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

田草川タケサガハ甲斐國山梨郡の名族にして、〓和源氏曾根氏の奇·善次、當郡牛奥村に來住し、牧野將監の女を娶り、子孫相承すと云ふ。また八代郡相奥村にも存す。また武藏國多摩郡にあり、新編風土記、朽久保條に「田草川新左衞門と云ひし者、甲州武田家に仕へ、武田氏滅亡の後、天正十一年、東照宮より御朱印を賜へり。其の外、信玄及び北條氏照の朱印の文書あり。う所に土着せしは、いつと云ふ事を定かにせずといへども、とにかく舊き家なる事論なし」と見ゆ。田早川タクサガハ前條氏に同じ。田久佐利タクサリ陸中の名族にて次條氏に同じ。多久佐利タクサリ同上。田鎻タクサリ陸中國門伊郡田領邑より超る。門伊氏の族にて、〓和源氏鎭四八郞爲朝の裔と傳ふ。奥南舊指錄に見ゆ。ヘイ條に詳かなり。

姓氏家系大辞典 第3巻 554コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ漢字を使う名字

田草川に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

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全国順位が田草川の前後にある名字です。

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