田原

たはらTahara

全国407位 ・ 約5.0万人

田原(たはら)は、『和名抄』の山城国綴喜郡に田原○があり「多八良」と読む。

2件の公開家系図に 3人

基本情報

読み
たはら
ローマ字
Tahara
全国順位
全国407位
推計人数
約5.0万人
全国比率
日本人のおよそ0.041%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

田原をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Tahara読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 山城国(京都府)
  • 三河国(愛知県)
  • 肥前国(佐賀県・長崎県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

田原(たはら)は、『和名抄』の山城国(京都府)綴喜郡に田原○があり「多八良」と読む。次に三河国(愛知県)設楽郡に多原○があり、高山寺本は「多厚」に作る……(このあと原文は組版が入り乱れ、地名の説明の途中から佐野氏の系図の記事へ飛ぶ) 「鎮守府将軍兼光の七代・基綱と申す者以来、ただ今に至るまで佐野の姓を名乗ってまいりましたが、……以来、本姓の田原といたしたく存じ奉ります、云々」―藤左衛門(○道)―太郎左衛門、弟の次郎左衛門、弟の赤堀新次郎、弟の藤太郎(○道)―肥前守師秀―小太郎―佐野左馬允師光―新蔵人師憲―左近将監師盛―師吉(永禄十年、北畠家の勘気を受けて領地を没収され、織田家に降り、続いて豊臣家に随従した。のち関ヶ原の役で戦死)―佐太郎師満、その弟の平三郎師定(大坂城落城の後、伊勢国(三重県)三重郡桜村に来て潜居した)」とある。 【4】近江(滋賀県)の田原氏 ― この国の栗太郡に田原庄がある。『氏族志』に「藤原秀郷が別業(別荘)を近江の田原荘に置き、それによって田原藤太と号した。子孫はそれによって近江に住んだ(『神明鏡』)。按ずるに『太平記』『蒲生軍記』はその由来を載せ、『俵』を米俵とする。その事は怪しく道理に合わず、好事家の作りごとである。ゆえに今は取らない」とある。第六項を参照。 【5】清和源氏土岐氏族 ― 美濃(岐阜県)の豪族である。古くこの国に田原部があった。その後、土岐系図に「六郎頼○―頼忠(池田頼世)―頼○(田……(ここで行が乱れる)「田原尾張守頼○は、土岐系図に『左京大夫頼○の弟で、賀茂郡田原に住む』と見える。ここの人か、また西田原の住人か、今は分かりがたい。また『安土創業録』に『田原左衛門が猿啄(今の勝山村)の城を築いて居住した』というのも、ここの人だろう。猿啄城跡は村の○にあり、田原左衛門が初めて築き、後に多治見修理・河尻肥前守が住んだ」とある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

田原タハラ和名抄、山城國綴喜郡に田原〓ありて、多八良と訓じ、次に三河國設樂郡に多原〓あり、高山寺本に多厚に作れ鎭守府將軍兼光七代基綱と申す者、以來、只今に至る迄、佐野の姓を名乘り來り候一代、巳來本姓田原と致し度存じ奉り候云々)-藤左衞門(〓道)-太郞左衞門、弟次郞左衞門、弟赤堀新次郞、弟藤太郞(〓道)-肥前守師秀-小太郞-佐野左馬允師光-新蔵人師憲-左近將監師盛-師吉(永祿十年、北畠家の勸氣を受け、領地を沒收せられ、織田家に降り、續いて豊臣家に隨從す。後關ヶ原の役に戰死す)1佐太郞師滿、其の第平三郞師定(大阪城落城の後、伊勢國三重郡櫻村に來り潜居)」とあり。 4近江の田原氏當國栗太郡に田原庄あ"氏族志に「藤原秀〓·別業を近江田原莊に置く、因りて田原藤太と號す。子孫·因りて近江に居る(神明鏡)。按ずるに太平記、蒲生軍記、其の所由を載せ、俵を米苞と爲す。其の事怪謎不經、好事者·之を爲くる也。故に今取らず」と。第六項を見よ。 5〓和源氏土岐氏族美濃の豪族也。古く當國に田原部あり。その後、土岐系圖に「六郞賴〓-賴忠(池田賴世)-賴〓(田「田原尾張守賴〓は、土岐系圖に『左京大夫賴釜の弟にて、賀茂郡田原に住す』と見えたり。こゝの人か、又西田原の住人か、今知りがたし。又安土創業錄に『田原左衞門·猿啄(今の勝山村)の城を築きて居住したり』しよしいへるも、こゝの人なるべし。猿啄城跡は村の四にあり、田原左衞門が、はじめて築き、後多治見修理,河尻肥前守住す」と。

姓氏家系大辞典 第4巻 98コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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