来山

きやまKiyama

全国7472位 ・ 約1,180人

来山(くるやま)は、呉(くれ)ともいう。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
きやま
ローマ字
Kiyama
全国順位
全国7472位
推計人数
約1,180人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

来山をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Kiyama読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 播磨国(兵庫県)
  • 紀伊国(和歌山県)
  • 摂津国(大阪府・兵庫県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

来山(くるやま)は、呉(くれ)ともいう。呉(くれ)は「暮れ」の意味で、その地方は西方・日暮れの方角にあたるので「暮れの国」といい、そして我が国の上代の後期は、主に中国の南北朝時代に相当し、我が国は南朝と多く交通したが、南朝はかつて呉国のあった地であるので、それに「呉」の字を当てたものらしい。この氏には、呉国からの帰化族、および呉人が住んだことから起こった地名を負うもの、および呉国に使いした者との三つがある。……(中略) 【1】呉勝(くれのすぐり)― 呉人の後裔だろう。「播磨風土記」揖保郡大田里の条に「大田と称するわけは、昔、呉勝が韓国から渡って来て、初めて紀伊国(和歌山県)名草郡大田村に至り、その後分かれて摂津国(大阪府・兵庫県)三嶋加美郡大田村に移り、そこからまた揖保郡大田村に移って来た。これは元の紀伊国の大田をもって名としたものである」とある。 【2】紀伊の呉勝 ― 前項に述べた通りである。他には見えない。 【3】摂津の呉勝 ― 前項に同じ。なお第五項を参照。 【4】呉公(くれのきみ)― 前項の氏との関係は詳しくわからない。「姓氏録」山城神別に「呉公は、天相命十三世の孫・香太(一本には雷大)臣命の後である」と見える。一本にいうように雷大臣の後であるとすれば、中臣氏の一族である。 【5】吉士族の呉氏 ― 白雉五年七月の条に、西海使の吉士長丹らが、豆芽・新羅の送使とともに筑紫に泊まったとある。……(中略)これは呉国に使いしたことによって、その国名を賜ったのである。 【6】百済系の呉氏 ― 「姓氏録」未定雑姓、右京の部に「呉氏は、百済国人の徳率呉伎側の後というが、確認できない」とある。この場合、「氏(うじ)」はカバネのように使われたのである。 【7】呉人裔の呉氏 ― 呉の師(技術者)の化族か。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

來山クルヤマ吳クレゴ吳(クレ)は暮の意にて、支郡は西方·日暮の方に當るが故に、クレの國と云ひ、而して我が上代の後期は、主として支那の南北朝時代に相當し、我が國は南朝と多く交通せしが、南朝は昔時吳國の在りし地なれば、タレに當つるに吳の字を以つてせしが如し。此の氏は吳國よりの歸化族、及び吳人の住みしより起りし地名を帶びしもの、及び、吳國に使せし者との三あり。……1吳勝吳人の裔ならん。播磨風土記、揖保郡大田里條に「大田と稱する所以は、昔·吳勝·韓國より渡り來り、始めて紀伊國名草郡大田村に到り、其の後、分れ來て、移りて攝津國三嶋加美郡大田村に到り、其れより又、楫保郡大田村に遷り來る。是れ本の紀伊國なる大田を以つて名と爲す也」と見ゆ。 2紀伊の吳勝前條に云へり。他に見えず。 3攝津の吳勝同上ニなほ第五項參照。 4吳公前項氏との關係詳かならず。姓氏錄、山城神別に「吳公、天相命十三世の孫·香太(一本雷大)臣命の後也」と見えたり。一本云ふ如く雷大臣の後とすれば、中臣氏の族也。 5吉士族の吳氏白雉五年七月條に西海使吉士長丹等、豆芽、新羅の送使と共に、筑紫に泊す。……こは吳國に使せしによりて、その國名を賜ひし也。 6百濟旅の吳氏姓氏錄、未定雜姓、右京の部に「吳氏、百濟國人德率吳伎側の後と云へり、見えず、」と載せたり。此の場合、氏はカパネの如く使用されし也。 7吳人裔の吳氏吳師化族か。

姓氏家系大辞典 第2巻 532コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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