小田桐

おだぎりOdagiri

全国1954位 ・ 約7,880人

小田桐(おだぎり)は、小田切と通じて用いられ、現在は津軽にある。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
おだぎり
ローマ字
Odagiri
全国順位
全国1954位
推計人数
約7,880人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

小田桐をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Odagiri読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 信濃国(長野県)
  • 美作国(岡山県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

小田桐(おだぎり)は、小田切と通じて用いられ、現在は津軽にある。おそらく信濃(長野県)の小田切氏の一族であろうと想像するのは難しくない。 (このあと原文は次の見出し「小田草辺(おだくさべ)」の記事に移る) 小田草辺は美作国(岡山県)小田草邑から起こる。初め斎藤玄蕃親実が小田草城に居り、後に西屋城に移った。天正十年、毛利氏に撃破されるところとなった。長子孫市郎親治は慶長五年、野介で死去した。 その子・次郎実頼は姓を小田草辺と改め、小田草神社の大宮司となり、元禄年中に姓を田辺と改めた。その後また斎藤に復した。それより代々神官を務め、当代茂士郎氏に至るという。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

小田桐ヲダギリ小田切と通じ用ふ、現今津輕にあり。蓋し信濃小田切氏の族なるや想像するに難からず。小田草邊ヲダクサペ美作國小田草邑より起る。初め齋藤玄蕃親實、小田草城に居り、後西屋城に移る。天正十年毛利氏の撃破する所となる。長子孫市郞親治、慶長五年野介に於て死す。其の子次郞實賴、姓を小田草邊と改め、小田草神社の大宮司となり、元祿年中、姓を田邊と改む。後亦齋藤に復す。爾來累世神官にして當代茂士郞氏に至るとなり。

姓氏家系大辞典 第1巻 492コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

小田桐と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

小田桐に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が小田桐の前後にある名字です。

存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →