大町

おおまちOomachi

全国1764位 ・ 約8,920人

大町(おおまち)は、「和名抄」安芸国佐伯郡に大町郷、肥後国玉名郡に大町郷がある。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
おおまち
ローマ字
Oomachi
全国順位
全国1764位
推計人数
約8,920人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

大町をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Oomachi読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 安芸国(広島県)
  • 肥後国(熊本県)
  • 相模国(神奈川県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

大町(おおまち)は、「和名抄」安芸国(広島県)佐伯郡に大町郷、肥後国(熊本県)玉名郡に大町郷がある。そのほか相模(神奈川県)・信濃(長野県)・上野(群馬県)・岩代(福島県)・陸前(宮城県・岩手県)・羽前(山形県)・越前(福井県)・能登(石川県)・美作(岡山県)・淡路(兵庫県)・伊予(愛媛県)・肥前(佐賀県・長崎県)などに、この地名がある。この氏はこれらの地名を負ったものである。 【1】……(この先は原文が崩れて読み取れない)「助継の弟・実行(大町十郎)―泰氏(同孫三郎)」と見えている。 【2】桓武平氏 ― 摂津国(大阪府・兵庫県)能勢郡の豪族で、山辺城に拠った。この地は鷹取城(枳根荘村山辺)とも鷹爪城ともいう。天文年間、大町右衛門尉平宗長の居城で、能勢一族の詰城であったが、織田氏方の塩川伯耆守国満に攻められて落城した。また大阪天満天神社の社家にも大町氏があるが、同族かどうかは明らかでない。 【3】美作菅家族 ― 勝北郡(勝田郡)小吉野庄大町邑から起こる。「栗井系図」に「菅丞相二十代・羽賀美作守祐房(久米・鶴田城主)……(この先は原文が崩れて読み取れない)……盛方(大町五郎)」と見える。この氏は大町村別所山城に拠った。「美作古城記」に「大町甚右衛門が居る」とある。 また「東作志」に「別所山城、城主は大町右京、同主計がこれに居る。言い伝えによれば、大町氏は菅原姓で代々勝北郡大町村に住んだ。久米南条郡下神目村薬王山豊楽寺大般若経寄進状に『文安二年二月三日、大町山城守基佐(在判)』(文安二乙丑年、人皇百三代花園院朝、足利将軍義政の代)とある」という。永禄から慶長年間に見える大町主計、右京、勘解由、主水、甚左衛門などは、皆大町の一族である。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

大町オホマチ和名抄、安藝國佐伯郡に大町〓、肥後國玉名郡に大町〓あり。其の他、相摸、信濃、上野、岩代、陸前、羽前、越前、能登、美作、淡路、伊豫、肥前等に此の地名あり。此の氏は此等の地名を負ひしなり。……及び「助繼弟、實行(大町十郞)-泰氏(同孫三郞)、」と見えたり。 2桓武平氏攝津國能勢郡の豪族にして山邊城に據る。此の地は鷹取城(枳根莊村山邊)とも鷹爪城とも云ふ。天文年中、大町右衞門尉平宗長の居城にして、能勢一族の詰城なりしが、織田氏方鹽川伯耆守國滿に攻められて城陷る。又大阪天滿天神社の社家に大町氏あり、同異詳かならず。 3美作菅家族勝北郡(勝田郡)小吉野庄大町邑より起る。栗井系圖に「菅丞相二十代羽賀美作守祐房(久米、鶴田城主)-陸前、羽大股連の後阿波に此の地名あれど関越後蒲原郡に此の地名あ大牧田オホマキタ大允オホマコトオホマカーオホマコホホマサーオホマチ一三〇一盛方(大町五郞)」と見ゆ。此の氏は大町村別所山城に據る。美作古城記に「大町甚右衞門居る」と。又東作志に「別所山城、城主大町右京、同主計·之に居る。相傳ふ、大町氏は菅原姓にして代々勝北郡大町村に住す。久米南條郡下神目村藥王山豐樂寺大般若經寄進狀に『文安二年二月三日大町山城守基佐(在判)』(文安二乙丑年、人皇百三代花園院朝、足利將軍義政代)と見えたり。永祿より慶長年間、大町主計、右京、勘解由、主水、甚左衞門など見ゆる者、皆大町の一族なり。

姓氏家系大辞典 第2巻 79コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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