多久
たくTaku
全国8449位 ・ 約973人
多久(たく・おおく)は、前後の数条と関連する。
1件の公開家系図に 2人
基本情報
- 読み
- たく
- ローマ字
- Taku
- 全国順位
- 全国8449位
- 推計人数
- 約973人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
多久をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Taku読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「多久」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
沢瀉
矢尻の形をしたオモダカの葉に、花を立てた図案。
『姓氏家系大辞典』第3巻 553コマに「家紋丸に萬、澤瀉と」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 出雲国(島根県)
- 肥前国(佐賀県・長崎県)
- 豊前国(福岡県・大分県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
多久(たく・おおく)は、前後の数条と関連する。「和名抄」出雲国(島根県)島根郡に多久郷を収める。また肥前(佐賀県・長崎県)などにこの地名が存する。 【1】源姓 ― 肥前国の豪族で、小城郡高来郷から起こる。この高来は「和名抄」に多久と訓ずるとおり、後世に多久邑と称した。この氏の出自については諸説あり、後藤氏の一族とする説もあるが、ここでは源姓とする説に従う。 氏の人には、将軍頼家の頃に多久太郎宗直がおり、鎌倉にあって朝夷三郎と相撲をとって勝ち、八幡神の利生であるとして、多久村の梶峰にこの神を勧請したと伝える(「肥陽軍記」)。 その後、○(原文の字が崩れて読み取れない)の頃、多久太郎宗国があり、「北肥戦誌」建治二年条に見える。次いで「博多日記」に佐志・波多・高木らとともに多久太郎の名が挙げられ、江串入道の討手に向かったとある。 その後、宗像社延慶三年文書に多久宗経、河上社○(元号の字が崩れて読み取れない)七年三月廿一日文書に多久小太郎殿とあり、「海東諸国記」に、源宗伝が戊子年に使者を遣わして来朝し、書に肥前州上松浦多久豊前守源宗伝と称したとある。この宗伝について……(この先は原文の行が崩れて読み取れない) (このあと原文は次の見出し「瀧脇(たきわき)」の記事に移る)瀧脇は三河国(愛知県)賀茂郡瀧脇邑から起こる。松平親忠の子乗○から出た。一説に大給乗元の子ともいう。……(中略) 初め三河国賀茂郡瀧脇城(瀧脇村)に拠った。「二葉松」に「松平親忠の男乗元の二男三郎太夫乗○、同出雲守乗高らの居城なり。乗○五代の孫助十郎正勝、大坂において討死す」とある。子孫は諸侯に列せられ、元禄以来駿河国(静岡県)庵原郡小島に居り、明治元年六月、瀧脇信敏に至って、小島から移り上総国(千葉県)望陀郡桜井一万石を領した。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
多久タクオホク前後數條と通十$た和名抄、出雲國島根郡に多久郷を收む。また肥前等に此の地名存す。 1源姓肥前國の豪族にして、小城郡高來郷より起る。此の高來は和名抄に多久と訓ずるが如く、後世多久邑と稱せし也此の氏の出自に關してば、多少說ありて、後藤氏の族と云ふものあれど、今源姓と云ふに從ふ。氏人は將軍賴家の頃、多久太郞宗直あり、在鎌倉して朝夷三郞と相撲して勝ち、八幡神の利生なりとて、多久村の梶峰に此の神を勸請したりと傳ふ(肥陽軍記)。その後、掌古賊来冠の頃、多久太郎宗國あり、北肥戰誌、建治二年條に見えたり。次いで博多日記に、佐志、波多、高木等と共に多久太郞を擧げ、江串入道討手に向ふ。その後、宗像社延慶三年文書に多久宗経、河上社貞1七年三月廿一日文書に多久小太郞殿、津東諸國記に源宗傳戊子年、使を遣はして來朝し、書して肥前州上松浦多久豐前守源宗傳と稱す。……此の宗傳につい瀧脇タキワキ三河國賀茂郡瀧脇邑より起る。松平親忠の子乘〓より出づ。一說大給乘元の子也とも云ふ。……初め三河國賀茂郡瀧脇城(瀧脇村)に據る。二葉松に「松平親忠男乘元の二男三郞太夫乘〓、同出雲守乘高等の居城也。乘〓五代の孫助十郞正勝、大坂に於て討死す」と見ゆ。子孫·諸侯に列せられ、元祿以來酸河國庵原郡小島に居り、明治元年六月、瀧脇信敏に至り、小島より移りて上總國望陀郡櫻井一萬石を領す。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
この名字の人々
同じ読みの名字
多久と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
多久に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「多」の字を含む名字
「多久」で始まる・多久を含む名字
多久の字をそのまま含む、より長い名字です。
同じくらいの多さの名字
全国順位が多久の前後にある名字です。
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