丸に引両

間部

まなべManabe

全国6060位 ・ 約1,600人

間部(まなべ)は、前の各項と通じる。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
まなべ
ローマ字
Manabe
全国順位
全国6060位
推計人数
約1,600人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

間部をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Manabe読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「間部」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第6巻 6コマに「家紋丸に橫三引、三銀杏」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 和泉国(大阪府)
  • 伯耆国(鳥取県)
  • 越後国(新潟県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

間部(まなべ)は、前の各項と通じる。 【1】和泉(大阪府)の間部氏 ― 真鍋の項第四項を見よ。……(中略) その九世、塩川伯耆守信氏が三河(愛知県)に至り、松平清康に仕えた。その子信行、その孤子刑部詮光は間鍋(真鍋)主馬兵衛に養われ、その氏を名乗った。 後にその五世○貞の時、星野と称し、四田に改め、さらにその子詮房に至って間鍋に復し、間部に改めた。……(この先は原文の行が崩れていて読み取れない) 領地も次第に増して、ついに上野高崎、越後村上に封ぜられ、五万石を領した(次の詮言の代、享保五年に越前鯖江へ移る)。 その弟に主膳詮貞、隠岐守詮之、中務少輔詮衝……(引用はここで途切れている)

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

間部マナベ-前各條と通ず。 1和泉の間部氏眞鍋條第四項を見よ。……其の九世鹽川伯耆守信氏·三河に到り、松平清康に仕一〇其の子信行、其の孤子刑部詮光·問鍋(眞鍋)主馬兵衞に養はれ、其の氏を旨す。後その五世〓貞の時、星野を稱し、四田に改め、更に其の男詮房に至り間鍋に復し、間部に改む。「光一詮則ー領土も次第に増して、遂に上野高崎、越後村上に封ぜられ、五萬石を領す。(次の詮言の代、享保五年越前鯖江に移る)。その第に主膳詮貞、隱岐守詮之、中務少輔詮衝……

姓氏家系大辞典 第6巻 6コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

間部と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

間部に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が間部の前後にある名字です。

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