近松
ちかまつChikamatsu
全国4221位 ・ 約2,740人
近松(ちかまつ)は、 【1】源姓 ― 近江国の名族・蛭田氏の後裔という。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- ちかまつ
- ローマ字
- Chikamatsu
- 全国順位
- 全国4221位
- 推計人数
- 約2,740人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
近松をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Chikamatsu読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 近江国(滋賀県)
- 肥前国(佐賀県・長崎県)
- 越前国(福井県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
近松(ちかまつ)は、 【1】源姓 ― 近江国(滋賀県)の名族・蛭田氏の後裔という。その一族は浅野侯に仕えた。赤穂義士の近松勘六行重は二百石(二百五十石)で馬廻組であったという。その弟に奥田貞右衛門行高がある。 【2】三善姓太田氏族 ― 杉森氏の後裔で、杉森彦四郎信盛は幼いころ肥前唐津の近松禅寺に住んだことから近松門左衛門と称したという(「椙杜」の項を参照)。……(中略)ただし一説に越前(福井県)の人とも、また三河(愛知県)の出ともいう。 その絶筆には「代々甲冑の家に生まれながら武林を離れ、三槐九卿に仕えて咫尺し奉りて寸爵なし」とある。しかしその作った浄瑠璃は文学史上に不朽の名を残し、公卿・武門の上にある偉人というべきである。その後、近松半二があり、穂積以貫の子である。また近松徳三らがあり、みな浄瑠璃作者である。 【4】雑載 ― 甲斐(山梨県)に近松氏があり、「新編会津風土記」に近松菅兵衛らが見える。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
近松チカマツ1源姓近江國の名族·蛭田氏の裔と云ふ。その斎·淺野侯に仕ふ。赤穗義士近松勘六行重は二百石(二百五十石)、馬廻組たりしとぞ。その弟に奥田貞右衛門行高あり。 2三善姓太田氏族杉森氏の裔にして、杉森彥四郞信盛は、幼にして肥前唐津近松禪寺に住みし事あるより、近松門左衞門と稱すと云ふ。椙杜條參照。……されど一に越前の人とも、又三河の出とも云ふ。その絕筆には「代々甲冑の家に生れながら武林を離れ、三槐九卿につかへ咫尺し奉りて寸爵なし」と。されど其の作淨瑠璃は、文學史上に不朽の名を殘して、公卿、武門の上に在り、偉人と云ふべし。その後、近松半二あり、穗積以貫の子。また近松德三等あり、皆淨瑠璃作者也。……4雜栽甲斐に近松氏、新編會津風土記に近松菅兵衞等見ゆ。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
近松に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「近」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が近松の前後にある名字です。
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