蔭山
かげやまKageyama
全国2094位 ・ 約7,130人
蔭山(かげやま)は、「和名抄」に播磨国神崎郡蔭山郷がある。
4件の公開家系図に 1人
基本情報
- 読み
- かげやま
- ローマ字
- Kageyama
- 全国順位
- 全国2094位
- 推計人数
- 約7,130人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
蔭山をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Kageyama読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「蔭山」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
藤
藤の花房を二つ、垂らして描いた図案。
『姓氏家系大辞典』第2巻 145コマに「家紋、初は上藤の内大ノ一字、後には山ノ一丁·P.播州印南郡蔭山村…」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 播磨国(兵庫県)
- 尾張国(愛知県)
- 武蔵国(東京都・埼玉県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
蔭山(かげやま)は、「和名抄」に播磨国(兵庫県)神崎郡蔭山郷がある。 【1】粟生氏族 ― 粟生系図に「粟生四郎左衛門師広 ― 重広(号蔭山太郎、法名生阿)― 家広(蔭山刑部大輔、後尾張守)、弟頼広(号鹿島中務丞)」と見えている。 【2】武蔵(東京都・埼玉県)の蔭山氏 ― 小田原役帳に「都筑郡本郷村は三郎景虎の知行で、高百九十八貫四百三十文のうち、二十三貫文は蔭山又文という者の代官である」と見える。 【3】下総(千葉県・茨城県)の蔭山氏 ― 葛飾郡小金平賀の本土寺は、文永中、郡の小目代陰山某が日蓮に帰依して建てたものだという。第一項の蔭山氏か。同寺過去帳に「蔭山越中守、息御鶴、天正十一癸未正月」、また「蔭山越中守、天正十七・十二月」などが見える。 【4】鴨県主姓 ― 山城鴨社の社家にこの氏があり、氏人の一つである。 【5】摂津(大阪府・兵庫県)の蔭山氏 ― 豊島郡にあり、昔利倉村の住人厳山作右衛門の長男作之進が、出家して祐○(この字は原文が崩れている)と称し、同村高城寺に入り、明応六年、本願寺蓮如に帰依して真言宗より真宗に転じ、寺名を永照寺と改めたという。 【6】河泉の蔭山氏 ― 和泉国(大阪府)日根郡畠中村に蔭山長者の旧跡がある。また昔河内国(大阪府)高安郡に信吉長者、蔭山長者があったという。信吉長者の子俊徳丸と、蔭山長者の娘との恋愛物語は世に有名である。南北朝の頃、影山帯刀があり、楠氏に従って勤王した。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
蔭山カゲヤマ和名抄、播磨國神崎郡隆山鄉あり。 1粟生氏族粟生系圖に「粟生四郞左衛門財師廣-重廣(號蔭山太郞、法名生阿)-家廣(隆山刑部重、後尾張守)、弟頼廣、(號鹿島中務亟)」と見えたり。 2武藏の隆山氏小田原役帳に「都筑郡本郷村は三郞景虎の知行にして、高百九十八貫四百三十文の内、二十三貫文は蔭山又文と云ふ者代官なり」と見ゆ。 3下總の陰山氏葛飾郡小金平賀の本土寺は文永中、郡の小目代陰山某、日蓮に歸依して建てたるものなりとぞ。第一項蔭山氏か。同寺過去帳に「蔭山越中守、息御鶴、天正十一癸未正月、」また「蔭山越中守、天正十七·十二月」等見ゆ。 4鴨縣主姓山城鴨社の社家に此の氏あり、氏人の一也。 5抵津の蔭山氏豐島郡にあり、昔利倉村荘人嚴山作右衛門の長男作之進、出家山下一して祐四と稱し、同村高城寺に入リ、明應六年、本願寺蓮如に歸依し、眞言宗より眞宗に轉じ、寺名を永照寺と改むとぞ。 6河泉の蔭山氏和泉國日根郡畠中村に蔭山長者の舊跡あり。又昔河內國高安郡に信吉長者、蔭山長者ありたりと。而して信吉長者の子俊德丸と、蔭山長者の女との戀愛物語世に有名也。南北朝の頃、影山帶刀あり、楠氏に從ひて動王す。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
この名字の人々
同じ読みの名字
蔭山と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
蔭山に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「蔭」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が蔭山の前後にある名字です。
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