蒲原
かんばらKambara
ほかの読み: かもはら
全国2501位 ・ 約5,650人
蒲原(かんばら・がまはら)は、「和名抄」に駿河国廬原郡に蒲原郷があるとして、加無波良と注する。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- かんばら ・ かもはら
- ローマ字
- Kambara
- 全国順位
- 全国2501位
- 推計人数
- 約5,650人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
蒲原をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
「かんばら」と読む場合
Kambara読みをそのまま写した形
「かもはら」と読む場合
Kamohara読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 駿河国(静岡県)
- 越後国(新潟県)
- 筑後国(福岡県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
蒲原(かんばら・がまはら)は、「和名抄」に駿河国(静岡県)廬原郡に蒲原郷があるとして、加無波良と注する。中世には蒲原御庄・蒲原庄と称した地である。また富士郡に蒲原○・駅家○があり、国史に蒲原駅と見える。また越後国(新潟県)にも蒲原郡があり、加無波良と訓ずる。延暦三年十月の紀に初めて見える。そのほか上野(群馬県)・筑後(福岡県)にも蒲原の地名がある。 【1】藤原南家入江氏流 ― 駿河国庵原郡蒲原庄より起こる。……(中略)当国の名族であり、「保元物語」の官軍勢汰の条に「駿河には入江右馬九、蒲原五郎」とあり、「源平盛衰記」に「蒲原太郎正重、同三郎正成」、「承久記」巻二に蒲原五郎などが見える。 【2】清和源氏今川氏流 ― 文安年中の御番帳に「外様衆、今川蒲原○」と見える。 【3】越後の蒲原氏 ― 蒲原郡は古代には深江国の地であったというが、その沿革や後裔については、史籍にも詳しい記載がない。ただし「大同類聚方」に「久万乃薬、越……(この先は原文が崩れて読み取れない)伊夜日子神社伝方、元は少彦名神の方である」とあり、蒲原○・大道・高橋就などの名が見えるが、この先も原文の行が崩れて読み取れない。 (このあと原文は次の見出し「上林(かんばやし)」の記事に移る) 【2】三河(愛知県)の上林氏 ― 額田郡の豪族であり、「二葉松」などに「土呂村、上林越前政重」と見える。この人については「上林竹由由緒書」に「家康様が三河岡崎にご在城の折、曾祖父上林越前義(若名は又市)と申します。一門の者と義絶し、元亀二年に岡崎へ罷り下って御奉公を願い出たところ、上聞に達して早速召し出され、御奉公に召し出されて名を越前(福井県)と改められ、知行百石を下し置かれ、同国土呂という所の○中支配を仰せ付けられました。しかるところ、御直判の御書一通を頂戴いたしました」とある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
蒲原カンバラガマハラ和名抄、駿河國、廬原郡に蒲原郷あり、加無波良と註す。中世·蒲原御庄、蒲原庄と稱せし地也た富士郡に蒲原〓、驛家〓あり、國史に蒲原驛と見ゆ。又越後國に蒲原郡、加無波良と訓ず、延曆三年十月紀に初見す。其の他、上野、筑後にも蒲原の地あり。 1藤原南家入江氏流駿河國庵原郡蒲厚庄より起る。……當國の名族にして、保元物語、官軍勢汰條に「駿河には入江右馬九、神原五郞、」源平盛衰記に「蒲原太郎正重、同三郞正成、」承久記卷二に蒲原五郞等あり。 2〓和源氏今川氏流文安年中御番帳に「外樣衆、今川神原一と見ゆ。 3越後の蒲原氏蒲原郡は古代に於ける深江國の地なれど、その國道、並びに其の後裔につきては、史籍設けて之を詳かにするを得ず。されど大同類聚方に「久萬乃藥、越(七字缺)伊夜日子神社傳方、元は少彥神方也。蒲原○大道高橋就等の千秋野間カミ上林2三河の上林氏額田郡の豪族にして、二葉松等に「土呂村、上棕越前政重、」と見えたり。此の人は、上行竹由由緒書に「懷現樣參州岡崎御在城の刻、曾祖父上林越前義、若名又市と申し候。一門の者と義絕仕り、元龜二年岡崎へ罷リ下り、御奉公願ひ奉り候處、上聞に達し、早速召出しなされ、御奉公に召出し候、名は越前と御改め成し下され、知行百石下し置かれ、同國土呂と申す所の〓中支配仰付けなさる。然る處、御直判の御書壹通項戴仕リ候。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
蒲原と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
蒲原に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「蒲」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が蒲原の前後にある名字です。
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