増沢
ますざわMasuzawa
全国2492位 ・ 約5,670人
増沢(ますざわ)は、信濃・陸中などにこの地名がある。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- ますざわ
- ローマ字
- Masuzawa
- 全国順位
- 全国2492位
- 推計人数
- 約5,670人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
増沢をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Masuzawa読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「増沢」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
牡丹
縁を丸く波打たせた牡丹の花に、丸い花びらを重ねた図案。
『姓氏家系大辞典』第5巻 510コマに「家紋牡丹獅子、替數十六節花、五七橋明應水止擾亂の時、義植將軍に圓…」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 信濃国(長野県)
- 陸中国(岩手県・秋田県)
- 淡路国(兵庫県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
増沢(ますざわ)は、信濃(長野県)・陸中(岩手県・秋田県)などにこの地名がある。 【1】清和源氏 ― 信濃国諏訪郡増沢邑から起こり、信政を祖とするという。 「増沢系図」に「氏政(多田治部少輔、六孫王七世源三位頼円禅門十三代の後胤)―久頼(多田治部大夫、別系には多田九郎に作る)……(この先は原文が崩れて読み取れない)―久平(三八郎、淡路守)―久朝(五郎、三八郎、別系には多田兵衛入道、治部、兵衛尉。文禄二年故あって、家号を増沢と称す)―久清(増沢市右衛門、一説に大庄屋と言い伝える。別系には実は追川村宮坂仁右衛門の二男養子で、妻は久朝の嫡女という)」とある。……(中略)多田の項および小口の項を参照。 氏神は加茂神社上社・下社。武具・陣幕は……(この先は原文が崩れて読み取れない)。紋章は白地へ墨地にて三本沢潟、輪結。また諏訪下社祠官神楽役検校大夫は増沢氏で、初め非持氏、また依田氏であったという。当郡のこの氏は丸に蔦を用いる。 【2】越前(福井県)の増沢氏 ― 斯波家の重臣で、柚山城は斯波家の時、増沢甲斐守祐徳がここに居り家老職であった。寛正六年、朝倉敏景が急に攻めてこれを抜き、増沢は脱走し、近江国(滋賀県)蒲生郡音羽村……(この先は原文が崩れて読み取れない)後にまた加恩があって六百石を領し、慶長年中、近江国御代官であった時、罪に坐して改易された。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
增澤マスザハ信濃、陸中等に此の地名あり。 1〓和源氏信濃國諏訪郡增澤邑より起り、信政を祖とすと云ふ。增澤系圖に「氏政(多田治部少輔、六孫王七世源三位報圓禪門十三代の後胤)-久賴(多田治部大夫、別系には多田九郎に作る。家紋牡丹獅子、替數十六節花、五七橋明應水止擾亂の時、義植將軍に圓ひて、動功顯著〓公方御沒落の劑、御供して終る地を知らず)-久平(三八郞、淡路守)-久朝(五郞、三八郞、別系には多田兵衞入道、治部、兵衞尉。文祿二年故ありて、家號を增澤と稱す〕-久清(増澤市右衞門、一說に大庄屋と言ひ傳ふ。別系に實は追川村宮坂仁右衞門二男養子、妻は久朝の嫡女と。……多田條、及び小口條參照。氏神は加茂神社上社、下社。武具、陣幕·五野幕輻總丈四尺五寸、乳見出し三す、幕綱赤き左繩。紋章白地へ墨地にて三本澤湯、料結。小馬標·金の又諏訪下社祠官神樂役檢校大夫は增澤氏、初め非持氏、又依田氏なりしとぞ。當郡此の氏は丸に蔦を用ふ。 2越前の增澤氏斯波家の重臣にして、柚山城は新波家の時、增澤甲斐守祐德·之に居り家老職たり。寛正六年、朝倉敏景·急に攻めて之を拔く增澤脫走し、近江國蒲生郡音羽村の名陸前に此の地名あり。信濃、陸中等に此の地名に當行及び田中の阳色をひ、後又加恩ありて六百石を領し、慶長年中、近江國御代官たりし時、臟に坐して改易せらる。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
増沢と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
増沢に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「増」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が増沢の前後にある名字です。
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