穴原

あなはらAnahara

全国7734位 ・ 約1,120人

穴原(あなはら)は、岩代国伊達郡に穴原があり、その地から起こったか。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
あなはら
ローマ字
Anahara
全国順位
全国7734位
推計人数
約1,120人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

穴原をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Anahara読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 岩代国(福島県)
  • 筑前国(福岡県)
  • 日向国(宮崎県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

穴原(あなはら)は、岩代国(福島県)伊達郡に穴原があり、その地から起こったか。 穴生(あなふ)は、筑前国(福岡県)遠賀郡に穴生村があり、その地から起こる。同地の鷹見三所権現古代神事帳に穴生宗俊という者が見える。また京極殿給帳に穴生氏を多く載せている。 穴穂(あなほ)は、日向(宮崎県)の古代姓である。ただし穴穂は穴太に通じるため、他国にも多い。次の項を参照。 「天皇本紀」景行帝条に『熊忍津彦命は、日向の穴穂別祖』と見える。熊忍津彦命の御母の名は伝わらないが、熊というところから考えると、おそらく熊襲の熊と縁故があるのだろうか。おそらく景行帝の四狩りの際の皇子か。このほか熊津彦命という皇子もある。 穴太(あなほ)の地名は、穴太部(穴穂部から来たものが多く、諸国に少なくない)が、後に朝廷に帰順したものである(この一節は原文の組版が乱れている)。「あなほべ」の項を参照。 【1】穴太村主 ― これは近江国(滋賀県)滋賀郡穴太村、「延喜式」にいう穴太駅という地名を負った帰化族である。この地は志賀高穴穂宮の地と思われ、古くから聞こえているので、穴穂部とは関係ないだろう。延暦六年七月紀に『坂田郡人・大初位下穴太村主真広らは、ともに本姓を改めて志賀忌寸と賜った』、また同十八年三月紀に『近江国浅井郡人・従七位下穴太村主真杖に、姓を志賀忌寸と賜った』とあって、相次いで志賀忌寸姓を賜った。 ……(中略) 【2】山城(京都府)の穴太村主 ― 「姓氏録未定雑姓」山城の部に『穴太村主は曹氏宝徳公の後というが、(他に)見えない』とあり、近江穴太村主の一族である。 【3】穴太曰佐 ― 宝亀九年四月十九日の穂積真理売東大寺功徳分家地雑物寄進解に、『穴太村主志豆加比売、穴太曰佐広万呂、穴太曰佐広継』などが見える。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

穴原アナハラ岩代國伊達郡に穴原あり其の地より起りしか。穴生アナフ筑前國遠賀郡に穴生村あり其の地より起る。同地鷹見三所権現古代神事帳に穴生宗俊なる者見ゆ。又京極殿給帳に穴生氏を多く載せたり。穴穗アナホ日向の古代姓なり。但し穴穗は穴太に通ずるが故に他國にも多し。次の條を見よ。天皇本紀景行帝條に「熊忍津彥命は、日向の穴穗別祖、」と見ゆ。熊忍津彥命の御母の名は傳はらざれど、熊と云ふより考ふるに、恐く熊襲の熊と緣故あるべきか。蓋し景行帝四狩の際の皇子か。此外熊津彥命てふ皇子もあり。穴太アナホ穴太の地名は穴太部(穴穗部より來りしもの多ければ諸國に尠から後に朝廷に歸順せしもず。アナホベ條を見よ。 1穴太村主こは近江國滋賀郡穴太村、延喜式に所謂穴太驛とある地名を負ひたる歸化族なり。此地は志賀高穴穗宮の地と思はれ、古くより聞ゆれば、穴穗部とは關係なかるべし。延曆六年七月紀に、「坂田郡人大初位下穴太村主眞廣等、並に本姓を改めて志賀忌寸と賜ふ」また同十八年三月紀に「近江國淺井郡人從七位下穴太村主眞杖、姓を志賀忌寸と賜ふ」とありて、相次いで志賀忌寸姓を賜へり。……2山城の穴太村主姓氏歎未定雜姓山城の部に「穴太村主、曹氏寶德公の後と云ヘリ、見えず」とあり、近江穴太村主の一族なり。 3穴太曰佐寶龜九年四月十九日の穗積眞理賣東大寺功德分家地雜物寄進解に、「穴太村主志豆加比賣、穴太曰佐廣萬呂、穴太曰佐廣繼」等見ゆ。

姓氏家系大辞典 第1巻 78コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ漢字を使う名字

穴原に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が穴原の前後にある名字です。

存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →