稲津

いなつInatsu

全国4888位 ・ 約2,190人

稲津(いなつ)は、河合宝藤氏の祖で、「尊卑分脈」に「則光(祗候宇治関白家、吉原四郎)―越前権分則重(吉原介)―豊前権守助宗(河合斎藤始)―景実―実体―実副」………

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
いなつ
ローマ字
Inatsu
全国順位
全国4888位
推計人数
約2,190人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

稲津をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Inatsu読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 越前国(福井県)
  • 豊前国(福岡県・大分県)
  • 但馬国(兵庫県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

稲津(いなつ)は、河合宝藤氏の祖で、「尊卑分脈」に「則光(祗候宇治関白家、吉原四郎)―越前権分則重(吉原介)―豊前権守助宗(河合斎藤始)―景実―実体―実副」……(この先は原文の系図が崩れていて読み取れない)……範宗に「承久の乱逆、斬首せらる」と見える。 【1】平家物語に義仲勢の中に稲津新介、源平盛衰記に「越前国(福井県)には成儀師、稲津新介」を載せ、また東鑑巻四十八に稲津左衛門尉が見える。 【2】日下部姓軽部流 ― 但馬国(兵庫県)養父郡稲津邑より起こる。……(中略) 【3】日向(宮崎県)の稲津氏 ― 日向伊東家の重臣で、四天の一人である。「日向纂記」に「正平三年十二月、虎夜介丸が京都より日向に下向し、供奉の人々は一族長倉、並びに稲津・落合・湯地・川崎を始めとして宗徒の衆二十五人である」とある。 また「日向記」巻二、○○日州下向の条に「稲津新介七歳云々、以上二十五人」とある。また「それ以来稲津・落合・湯地・川崎、この四天は下向の人数なので客座に直す」とある。 そのほか稲津弥次郎・稲津民部大輔・稲津弥二郎・稲津九耶二郎などが見える。また天正慶長の頃、稲津播部助重政があり、「日向纂記」に見える。 また「地理纂考」諸県郡花見村の条に「稲津掃部乱妨、稲津掃部祐信は伊東義祐の家臣で、日向○武の城主である。天正五年義祐が豊後(大分県)へ逃れた後、祐信も行方知れずであったが、関ヶ原の役の後、○武に還って兵を集めて近隣の村を侵し、勢いに乗じて故地を取り戻そうとする……(引用はここで途切れている)

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

稻津イナツ河合寳藤氏の祖にして、尊卑分脈に「則光(祇候字治關白家、吉原四郞、)-越前權分則重(吉原介)-豊前權守助宗(河合齋藤始)-景實-實體-實副又洗眼津河合新介ㄱ小太郞助義表示は行載-行實「行光第-成成-親助(民黨)I好風だ宿神太郎」利澄方德門圓助〓-〓康:-範宗-親範土師門臨列實代天CH3範實奉明門院判百代範宗に「承久亂逆、斬首せらる」と見ゆ。 1平家物語に義仲勢に稻津新介、源平盛衰記に「越前國には成儀師、稻津新介、」を載せ、又東鑑卷四十八に稻津左衞門尉見ゆ。 2日下部姓輕部流但馬國養父郡稻津邑より起る。……3日向の稻津氏日向伊東家の重臣にして四天の一なり。日向纂記に「正平三年十二月、虎夜介丸京都より日向に向下あリ,供奉の人々は一族長倉、並に稻津、落合、湯地、川崎を始として宗徒の衆二十五人なり」と。又日向記卷二、站重日州下向の條に「稻津新介七歲云々以上廿五人」と。又「其れ以來稻津、落合、湯地.川崎、此の四天は下向の人數なれば客座に直す」と。その他、稻津彌次郞、稻津民部大輔、稻津彌二郞、稻津九耶二郞等見ゆ。又天正慶長の頃、稻津播部助重政あり、日向纂記に見え、又地理纂考に諸縣郡花見村條「稻津掃部亂妨、稻津掃部祐信は、伊東義祐が家臣にて、日向〓武の城主なり。天正五年義祐豊後へ遁れし後、祐信も行方知れざりしを、關ヶ原役後、〓武に還り兵を集めて近邑を侵し、勢ひに乘りて故土を取らむとす。

姓氏家系大辞典 第1巻 238コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ漢字を使う名字

稲津に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が稲津の前後にある名字です。

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