稲岡

いなおかInaoka

全国2119位 ・ 約7,010人

稲岡(いなおか)は、播磨・美作などに稲岡邑がある。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
いなおか
ローマ字
Inaoka
全国順位
全国2119位
推計人数
約7,010人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

稲岡をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Inaoka読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 播磨国(兵庫県)
  • 美作国(岡山県)
  • 河内国(大阪府)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

稲岡(いなおか)は、播磨(兵庫県)・美作(岡山県)などに稲岡邑がある。 【1】河内(大阪府)の稲岡氏 ― 丹比郡の名族で、源満仲の家臣・仲光の末裔である。弘安六年三月、○念寺を建立したという。 【2】美作の稲岡氏 ― 久米郡に稲岡村があり、法然上人の生まれた地である。「元享釈書」に「源空、姓は漆氏、作州稲岡の人である」とあり、この氏はこの地から起こったもので、本姓は漆間という。時国(法然の父)の弟・漆間隼人正時弘から六代の孫にあたる漆間左源太時重は、康永元年に流浪して河内の庄に居を構え、稲岡権左衛門と称した。これが稲岡氏の祖であるという。 (このあと原文は次の見出し「稲臣(いなおみ)」「伊中(いなか)」「稲賀(いなが)」の各項に移り、見出しのみで本文がないものが続く。伊中の項だけ「「和名抄」丹波国(京都府・兵庫県)氷上郡に伊中○がある。近世は井中邑と称する」とある) (さらにそのあと原文は次の見出し「稲垣(いながき)」の記事に移る) 稲垣(いながき)は、 【1】清和源氏 ― 三河国(愛知県)の発祥で、その家譜によれば、清和源氏で小田重氏が初めて稲垣を称したという。「藩翰譜」には「平右衛門尉源長茂は、伊勢国(三重県)の住人・稲垣三郎重巷の後胤である。中頃の先祖が文明年中に三河国に移って牛窪に住んだ。 長茂の祖父は藤助重賢、父は平右衛門尉重宗と申した。長茂は父祖の代から牧野家に仕え、長茂の代になって右馬允廉成を補佐して家の事を司った。天正十年の秋、徳川殿が武田の国々を従わせようとして軍勢を向けられた初め、長茂は命を受けて足高山の麓の天神川の要害を守らせられた」とみえる。 「二葉松」などに「牛久保岸屋敷、稲垣平右衛門重宗(法名道善居士)、父・平右衛門重賢(法名善心)」とあり、初め牧野氏に仕え、後に松平氏に属した。その系は次のとおりである。……(この先は原文の行が崩れていて読み取れない)

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

稻岡イナヲカ播磨、美作等に稻岡邑あリ。 1河内の稻岡氏丹比郡の名族にして源滿仲の家臣仲光の末裔也。弘安六年三月〓念寺を建立すと云ふ。 2美作の稻岡氏久米郡に稻岡村あり、法然上人の生れし地なリ、元享釋書に「源空、姓漆氏、作州稻岡の人なり」と此の氏は此の地より起りしにて、本姓漆間、時國(法然の父)の弟漆間隼人正時弘より六代の孫漆間左源太時重、康永元年流浪して河內の庄に居を構へ、稻岡權左衞門と稱す。され稻岡氏の祖なりとぞ。稻臣イナヲミ伊中イナカ和名抄丹波國氷上郡に伊中〓あり。近世井中邑と稱す。稻賀イナガ稻垣イナガキ1〓和源氏三河國發祥、その家譜に據れば、〓和源氏にして小田重氏始めて稻垣を稱すと云ふ。藩翰譜には「平右衞門尉源長茂は、伊勢國の住人、稻垣三郞重巷が後胤なり、中比の先祖、文明年中三河國に移りて、牛窪に住す、長茂が祖父藤助重賢、父は平右衞門尉重宗とぞ申ける、長茂父祖より牧野が家に仕へ、長茂が身に及て、右馬九廉成を輔て、家の事を司る、天正十年の秋、德川殿武田が國々打從へんとて、御勢を向られし初め、長茂仰を承て、足高山の麓天神川の要害を守らせらる」と見えたり。二葉松等に「牛久保岸屋敷稻垣平右衞門重宗(法名道善居士)父平右衞門重賢(法名善心)」とあリ、初め牧野氏に仕へしが後松平氏に屬せしなり。その系は次の如し。……家教養荷丸、立澤湯。

姓氏家系大辞典 第1巻 234コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ漢字を使う名字

稲岡に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が稲岡の前後にある名字です。

存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →