稗田

ひえだHieda

全国2112位 ・ 約7,040人

稗田(ひえだ)は、大和・下野・豊前などにこの地名が存在し、また「延喜式」の丹波国桑田郡に稗田野神社、武蔵国荏原郡に稗田神社がある。

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基本情報

読み
ひえだ
ローマ字
Hieda
全国順位
全国2112位
推計人数
約7,040人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

稗田をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Hieda読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 豊前国(福岡県・大分県)
  • 丹波国(京都府・兵庫県)
  • 武蔵国(東京都・埼玉県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

稗田(ひえだ)は、大和(奈良県)・下野(栃木県)・豊前(福岡県・大分県)などにこの地名が存在し、また「延喜式」の丹波国(京都府・兵庫県)桑田郡に稗田野神社、武蔵国(東京都・埼玉県)荏原郡に稗田神社がある。 【1】稗田氏 ― 猿女君の裔で、大和国添上郡稗田邑から起こるという。天武天皇の代の氏族名である。……(中略) 「四宮記」の「猿女は縫殿寮の解によって○、内侍が奏してこれを補う」とある裏書に「猿女を貫すること。弘仁四年十月十四日、猿女君氏の女一人を縫殿寮に進める。延喜二十年十月十四日、昨日、尚侍が奏させ、縫殿寮が申して、稗田礼貞子をもって薄田海子の死闘の代わりとすることを請うという。 天暦九年正月二十五日、右大臣が奏させ、縫殿寮に申して官符を賜り、大和・近江国(滋賀県)の氏人において猿女三人の死闘の代わりを差し進めさせる」などとみえることから、猿女君であることに疑いはない。……(中略)後世、添上郡井戸氏配下の将に稗田氏がある。 【2】長門(山口県)の稗田氏 ― 「博多日記」に「長門国分、藤田孫四郎入道、上下三人」と(この先は原文の行が崩れていて読み取れない) 【3】石見(島根県)の稗田氏 ― 邇摩郡大田村に稗田城主があった。 【4】鎮西の稗田氏 ― 「鎮西引付」(永仁七年四月十日)に「二番・森田四郎次郎」とみえる。また大友家臣に稗田上総守がある。 【5】那須氏族 ― 下野国塩屋郡稗田○(櫟木乾元文書)から起こり、稗田城(豊田邑)に拠る。那須系図に「那須太郎資隆―朝隆(稗田九郎)」と載せ、伊王野系図もこれに同じく、また「下野国志」に「資隆―朝隆(稗田九郎)」とみえる。笠ヶ城主であったという。福原の項を参照。 【6】越中(富山県)の稗田氏 ― 佐々成政配下の将に稗田善助があり、青木孫右衛門とともに礪波郡土山城を守った。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

稗田ヒエダ大和、下野、豊前等に此の地名存し、又延喜式、丹波國桑田郡に薄田野神社、武藏國荏原郡に藝田神社あり。 1稗田氏猿女君の裔にして、大和國添上郡稗田邑より起ると云ふ。天武天皇の種族名也。……また四宮記の「猿女·縫殿寮の解に依り〓、內侍·奏して之を補す」とある裏書に「猿女を貫する事。弘仁四年十月十四日,猿女君氏の女一人を縫殿寮に進む。延喜廿年十月十四日、昨尙侍·奏せしめ、縫殿察申して、葬田禮貞子を以つて、薄田海子が死闘の替と爲さんと請ふと云ふ。天曆九年正月廿五日、右大臣·奏さしめ、縫殿寮に申して、官符を給はり、大和、近江國の氏人に於いて、猿女三人死闘の替を差し進めしむと云ふ」など見ゆるにより、狼女君なる事疑なし。……後世、添上郡井戶氏配下の將に、稗田氏あり。 2長門の薄田氏博多日記に「長門國分、藤田孫四郞入道、上下三人」と3石見の稗田氏邏摩郡大田村に稗田城主あり。鎭四の薄田氏鎭四引付(永仁七年四月十日)に「二番·森田四郞次郞」見ゆ。又大友家臣に稗田上總守あり。 5那須氏族下野國鹽屋郡稗田〓(櫟木乾元文書)より起り、薄田城(豐田邑)に據る。那須系圖に「那須太郞資隆-朝隆(森田九郞)」と載せ、伊王野系圖も之に同じく、又下野國志に「資隆-朝隆(稗田九郞)」と見ゆ。笠ケ城主なりと。福原條參照。 6越中の稗田氏佐々成政配下の將に稗田善助あり、靑木孫右衞門と共に礪波郡土山城を守る。

姓氏家系大辞典 第5巻 199コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

稗田と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

稗田に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

「稗」の字を含む名字

同じくらいの多さの名字

全国順位が稗田の前後にある名字です。

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