稲

稲毛

いなげInage

全国2294位 ・ 約6,340人

稲毛(いなげ)は、武蔵・下総・常陸・下野などの諸国に稲毛の地名があり、おそらく古代稲置の居住した地であろう。

1件の公開家系図に 1人

基本情報

読み
いなげ
ローマ字
Inage
全国順位
全国2294位
推計人数
約6,340人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

稲毛をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Inage読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「稲毛」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第1巻 237コマに「紋に證州の稻毛と見ゆ」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 武蔵国(東京都・埼玉県)
  • 下総国(千葉県・茨城県)
  • 遠江国(静岡県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

稲毛(いなげ)は、武蔵(東京都・埼玉県)・下総(千葉県・茨城県)・常陸(茨城県)・下野(栃木県)などの諸国に稲毛の地名があり、おそらく古代稲置の居住した地であろう。イナギとイナゲが通じることは、常陸稲木氏を「分脈」に稲毛と書くことによって知ることができる。 【1】桓武平氏秩父流 ― 武蔵国橘樹郡稲毛庄から起こる。この庄のことは「新編風土記伝」に次のようにある。 「この庄は古い庄と見えて、鎌倉右大将頼朝の頃、稲毛三郎重成と聞こえて在名を称したことは世に知られている。この三郎重成は当国七党のうち小山田別当有重の子で、その弟様谷四郎重朝と同じく父の譲りを受けてこのあたりの地を分け領したと見える。なお様谷庄の項も照らし見るべきである。 今、稲毛領の内と称する村々は、多くこの庄に属した地であろう。正平七年の下文に稲毛庄の内坂山○とあり、今の坂戸村がこれである。また稲毛領宮内村春日社にかけた応永十年の鰐口に稲毛本庄と記してある。また至徳元年頃の文書には稲毛新庄とあり、これによればその頃は本庄・新庄の別もあったと見えるが、これらのことは今からはどうとも分けがたい。 また小田原家人役帳にも、この庄に属する地名すべて十七村を載せる。「太平記」に江戸遠江守堯寛、同下野守能登が領地稲毛十二○を関所したことが見える。また「小田原記」に永禄十二年、武田信玄が当国へ出兵した時、稲毛十六郷を追捕したとある」。 この氏のことは、「尊卑分脈」に……(引用はここで途切れている)

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

稻毛イナゲ武藏、下總、常陸、下野等の諸國に稻毛の地名あり、蓋し古代稻置の居住せし地なるべし。イナギとイナゲと通ずる事は常陸稻木氏を分脈稻毛に作るによりて知るを得ん。 1桓武平氏秩父流武藏國橘樹郡稻毛庄より起る。此の庄の事は新編風土記傳に「この庄は古き庄と見えて、鐵倉右大將賴朝の頃稻毛三郞重成と聞えて在名を稱せしは世に知る所なり。この三郞重成は當國七黨の內小山田別當有重が子にして、其弟樣谷四郞重朝と同じく父の讓を受て此邊の地をわかち領せしと見ゆ。猶ほ樣谷庄の條とてらし見るべし。今稻毛領の內と號する村々は多くこの庄に屬せし地なるべし。正平七年の下文に稻毛庄の內坂山〓とあり、今の坂戶村此なり。又稻毛領宮内村春日社にかけたる應永十年の鰐口に稻毛本庄としるせり。又至德元年の頃の文書には稻毛新庄とあり、これによれば其頃は本庄新庄の別もありしと見ゆれど、是等の事は今よりいかにとも分ちがたし。又小田原家人役帳にも、この庄に屬する地名すべて十七村を載す。太平記に江戶遠江守堯寬、同下野守能登が領地稻毛十二〓を關所せしこと見ゆ。又小田原記に永祿十二年武田信玄當國へ働のとき稻毛十六郷を追捕すとあり、」と見ゆ。此の氏の事は、尊卑分脈に……

姓氏家系大辞典 第1巻 237コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

この名字の人々

同じ漢字を使う名字

稲毛に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

「稲毛」で始まる・稲毛を含む名字

稲毛の字をそのまま含む、より長い名字です。

同じくらいの多さの名字

全国順位が稲毛の前後にある名字です。

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