丸に三文字

毛呂

もろMoro

全国9003位 ・ 約881人

毛呂(もろ)は、前条を参照。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
もろ
ローマ字
Moro
全国順位
全国9003位
推計人数
約881人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

毛呂をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Moro読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「毛呂」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第6巻 245コマに「家紋上藤丸に三文字、月の丸、雁金獅子の古文字」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 武蔵国(東京都・埼玉県)
  • 豊後国(大分県)
  • 佐渡国(新潟県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

毛呂(もろ)は、前条を参照。 【1】藤原姓 ― 武蔵国(東京都・埼玉県)入間郡毛呂邑から起こる。……(中略)氏人は「東鑑」巻一に毛呂冠者季光(毛呂豊後守季光)、十三・十五に毛呂太郎季綱、三十四に毛呂五郎入道蓮光などが見える。 また『新編風土記』入間郡毛呂陣屋の条(毛呂本○条)に「この所の字を喉の内といった。今は陸田となり、九段七畝ほどの地である」とある……(この先は原文の行が崩れて読み取れない)。 「東鑑」巻十六の○○伊郡・君馬場・小田の各村・長栄寺にわたる毛呂を調べると、毛呂氏は「大○○の○○にして太宰権師季仲の子(「東鑑」には孫とする)豊後守季光という。その子太郎季綱、季綱の子佐渡守秋重の二代を経て、土佐守顕季に至り、その子二郎長吉、後に宗印と号す」とある。 子孫は伝わっていない。顕季の弟を越後守秋綱といい、当国大谷木に住んで在名を名乗った。その子孫は後に召し出されて幕府直属の士となり、また村に残った庶流の農民もあり、与兵衛と称して今も大谷木村に住むという。 ただしこれも後に書き記されたものと見え、時代が食い違うと思われる点がある。また与兵衛の家に伝わる記録には「豊後守季光は源頼朝に仕え、毛呂・平山・小台・舞窪・北浅羽・園部・鉄方・窪田の八か所を領した」とある。 按ずるに、「東鑑」文治二年二月二日の条に「毛呂太郎藤原季光、国司の事、これ太宰権師季仲卿の孫なり。心操もっとも穏便、賢慮に相叶うか。……(中略)昨日武蔵国より参上す」とある。 また○久二年三月五日の条に「○○の事によって近国の都家人らが参集す」……(引用はここで途切れている)

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

毛呂モロ前條參照。 1藤原姓武藏國入間郡毛呂邑より起る。……氏人は東鑑卷一に毛呂冠者季光(毛呂豐後守季光)、十三、十五に毛呂太郞季綱、三十四に毛呂五郞入道蓮光等見ゆ。又新編風土記、入間郡毛呂陣屋(毛呂本〓條に『此所の字を咽の內といへり。今陸田となる、九段七十十少の地な東鑑卷十六に諸諸伊郡君馬場小田各村長榮寺にする毛呂閱するに、毛呂氏は「大職疑能の健康にして太宰帽師季仲が子を(東鑑に孫)豐後守李光と云ふ。其の子太郞季網、季欄が子佐渡守秋重の二代を歷て、土佐守顯季に至リ、其の子二郞長吉·後に宗印と號す」と。子孫聞ゆることなし。顯李が第を越後守秋綱と云ひ、當國大谷木に住して在名を名乗る。其の子孫は後に召出されて御旗下の士となり、又村にのこりて庶流の農民あり、與兵衞と稱して、今は大谷木村に居れりと云ふ。されど此も後に書記せしものと見えて、時代もたがえると思はるゝ所あり。又與兵衛が家に傳はる記錄に「豐後守季光は源頼朝に仕へて、毛呂、平山、小臺、舞窪、北淺羽、園部、鐵方、窪田の八ケ所を領す」と云ふ。按ずるに東鑑文治二年二月二日の條に「毛呂太郎藤原季光·國司の事、是れ太宰權師季仲卿の孫也。心操尤も穩便、賢慮に相叶へる歟。……昨日武藏國よリ參上云々」と又諺久二年三月五日僅に「美上の事に依りて近國の都家人等·參集す。

姓氏家系大辞典 第6巻 245コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

毛呂と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

毛呂に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が毛呂の前後にある名字です。

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