岩部
いわべIwabe
全国4880位 ・ 約2,200人
岩部(いわべ)は、下総・播磨・讃岐などに岩部邑がある。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- いわべ
- ローマ字
- Iwabe
- 全国順位
- 全国4880位
- 推計人数
- 約2,200人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
岩部をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Iwabe読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 下総国(千葉県・茨城県)
- 播磨国(兵庫県)
- 讃岐国(香川県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
岩部(いわべ)は、下総(千葉県・茨城県)・播磨(兵庫県)・讃岐(香川県)などに岩部邑がある。 【1】桓武平氏千葉氏流 ― 下総国香取郡岩部邑より起こる。千葉系図別本に「千葉介常長の子・常益を岩部五郎、栗飯原家督続」とし、中興系図には「岩部、平姓、本国下総、原四郎頼常の男・五郎常益がこれを称す」と見える。小金本土寺過去帳に岩部次郎が見え、この後の者であろう。 【2】肥前(佐賀県・長崎県)の岩部氏 ― 肥前千葉氏の家臣で、下総より従った者である。「鎮西要略」永正八年の条に「岩部常陸介があり、須古に置いて杵島・藤津を守らせた」とある。 これより前、岩部主水盛氏があり、その六男行氏は千葉左衛門尉常行の養子となって公常を生んだ。その子常氏、その子兵部三郎常正は岩部を称した。その子六左衛門尉胤晴は、建武中に千葉風貞とともに肥前に下ったという。……(中略) 【4】讃岐の岩部氏 ― 「全識史」に「岩部城は安原上岩部にあり、往古河田肥前がここに居り、後に延徳・明応の間、岩部対馬がここに居る」とあり、また「東谷城、岩部対馬守祐信がここに居る」と見えている。 【5】そのほか筑前原田家臣に岩部七郎右衛門がある。……(中略) (このあと原文は別の見出し「岩堀」の記事に移る) 室町時代の名族で、康正造内裏段銭引付に「八百五十六文、岩堀左近将監殿(三河国(愛知県)岩堀屋敷分。段銭)四百文、岩堀修理亮殿(三河国四郡。中村段銭)」とある。また長享将軍江州(滋賀県)御動座着到に、三州岩堀修理亮・岩堀六郎などが見える。岩堀村古屋敷鋪に住む。 「二葉松」に岩堀横応の次子孫・半十郎と見える。寛政系譜は未勘源氏に収め、「先祖房明が岩堀村に住んだことから家号とする。家紋は瓜、横木瓜」とある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
岩部イハベ下總、播磨、讃岐等に岩部邑あり。 1桓武平氏千葉氏流下總國香取郡岩部邑より起る。千葉系圖別本に「千葉介常長の子常益を岩部五郞、栗飯原家督續、」とし、中興系圖には「岩部、平姓、本國下總、原四郞賴常男五郞常益之を稱す」と見ゆ。小金本土寺過去帳に岩部次郞見ゆ、この後ならむ。 2肥前の岩部氏肥前千葉氏の家臣にして下總より從ひしもの也。鎭西要略永正八年條に「岩部常陸介あり、須古に置きて杵嶋藤津を守らしむ、」と。これより前、岩部主水盛氏あり、其の六男行氏千葉左衞門尉常行の養子となり、公常を生も0其の子常氏、其の子兵部三郞常正、岩部を稱す。其の子六左衞門尉胤晴、建武中千葉風貞と共に肥前に下るとなり。……4讃岐の岩部氏全識史に「岩部城は安原上岩部に在り、往古河田肥前之に居リ後延德明應間、岩部對馬、之に居る」と又「東谷城、岩部對馬守祐信之に居る」と見えたり。 5其の他筑前原田家臣に岩部七郞右衞門あり。……室町時代の名族にして、康正造内裡段錢引付に「八百五十六文、岩堀左近將監殿、(三河國岩堀屋敷分。段錢)四百文、岩堀修理亮殿(三河國四郡。中村段錢)」と。又長享將軍江州御動座着到に、三州岩堀修理亮、岩堀六郞等見ゆ。岩堀村古屋敷鋪に住す。二葉松に岩堀橫應次子孫半十郞と見ゆ。寛政系譜は未勘源氏に收む、「先祖房明岩堀村に住せしより家號とす。家紋瓜、橫木瓜」と。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
岩部と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
岩部に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「岩」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が岩部の前後にある名字です。
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