田岡

たおかTaoka

全国1899位 ・ 約8,190人

田岡(たおか)は、伊勢志摩地方に存する。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
たおか
ローマ字
Taoka
全国順位
全国1899位
推計人数
約8,190人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

田岡をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Taoka読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 志摩国(三重県)
  • 常陸国(茨城県)
  • 陸奥国(東北地方)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

田岡(たおか)は、伊勢志摩地方に存する。 (このあと原文は次の見出し「多珂(たか)」の記事に移る) 多珂(たか)は、常陸国(茨城県)に多珂郡があり、古代の高国の地で、後世多賀郡という。「和名抄」に多珂郡と載せ、郡内に多珂郷を収める。後に大多珂郡と称した。また郡内に多珂荘があり、あるいは多賀荘、また高野荘に作る。「佐竹系図」「佐竹義篤譲状」「佐竹家士知行目録」などに見える。次に陸奥国(東北地方)行方郡(磐城(福島県・宮城県))に多珂郷がある。またこの氏は以下の数項と通じるので、併せて見よ。 【1】多珂国造 ― 凡河内氏の一族とも、また出雲臣の一族とも考えられる。多珂国とは、「和名抄」所載の常陸国多珂郡多珂郷付近の総称である。 この国造については、「国造本紀」に「多珂国造。志賀高穴穂(成務)朝の御世、弥都侶岐命の孫・弥佐比命を国造に定め賜う」と見える。 「常陸風土記」には多珂郡の条に「古老が言うには、志賀高穴穂宮で大八洲を治めた(成務)天皇の御世、建御狭日命をもって多珂国造に任じた。この人が初めてこの地に至り、地の形を経巡って調べ、峰は険しく岳は高いとして、多珂の国と名づけた(建御狭日命というのは、すなわち出雲臣と同族である。今、多珂・石城というのはこれである。風俗ではこれを『薦枕多珂の国』と説く)」とある。 建御狭日命が遣わされた時、久慈堺の助河をもって道前とし、陸奥国石城郡苦麻の村を道後とした」……(中略)(道前・道後のことは「きへ」の項、および「道前」「道後」の項を見よ)。 しかし「国造本紀」によれば、この国造の同族・石城国造の祖は建許呂命の後で、凡河内氏の一族である。したがってこの国造・弥佐比命もまた凡河内氏の一族としなければならない。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

田岡タヲカタノヲカ伊勢志摩地方に存す。多珂タカ常陸國に多珂郡あり、古代の高國の地にして、後世多賀郡といふ。和名抄、多珂郡と載せ、郡内に多珂郷を收む。後に大多珂〓と稱す。又郡内に多珂莊あり、或は多賀莊、又高野莊に作る。佐竹系圖、佐竹義篤讓狀、佐竹家士知行目錄等に見えたり。次に陸奥國行方郡(磐城)に多珂都あリ。又この氏·以下數條と通ず、併せ見よ。 1多珂國造凡河內氏の族とも、又出雲臣の族とも考へらる。多珂國とは、和名抄所載常陸國多珂郡多珂郷附近の總稱なり而して此の國造の事は、國造本紀に「多珂國造。志賀高穴穗(成務)朝の御世、彌都侶岐命の孫·彌佐比命を、國遣に定め賜ふ」と見え、常陸風土記には、多珂郡條に「古老曰ふ、斯我高穴穗宮大八洲照臨(成務)天皇の御世、建御狹日命を以つて、多珂國造に任ず。玆の人·初めて至り、地體を歷驗し、以つて峰·險しく、岳.崇と爲し、因りて多珂の國と名づく。(建御狹日命と謂ふは、卽ち是れ出雲臣と同屬なり、今·多珂、石城と謂ふは是れ也。風俗·說いて薦枕多珂の國と曰ふ)。建御狹日命·遺はさるゝ時に當り、久慈堺の助河を以つて道前と爲し、陸奧國石城郡苦麻の村を道後と爲す。……(道前、道後の事は、キヘ條、及び道前、道後條を見よ)。されど圖造本紀に據れば、此の國造同族·石城國造の祖は、建許呂命の後にて、凡河內氏の族なり。從つて此の國造〓佐比命も亦凡河內氏の族とせざるべからず。

姓氏家系大辞典 第3巻 491コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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