西条
さいじょうSaijou
全国1897位 ・ 約8,190人
西条(にしじょう・さいじょう)は、「さいじょう」の項に詳しい。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- さいじょう
- ローマ字
- Saijou
- 全国順位
- 全国1897位
- 推計人数
- 約8,190人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
西条をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Saijou読みをそのまま写した形Saijoパスポート(ヘボン式)
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「西条」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
『姓氏家系大辞典』第4巻 543コマに「家紋割菱、澤瀉」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 信濃国(長野県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
西条(にしじょう・さいじょう)は、「さいじょう」の項に詳しい。そのほか「東鑑」巻二十五に四条四郎、三十二に西条兵衛尉、四条与一などが見える。 また信濃(長野県)にもこの氏がある。「信府統記」によれば、品国天皇の若宮親王、一条修理太夫高直が仁科森の城に入部し、天暦中に駒沢に一城を築いた。高直の二男は犬養殿と称して、今の成相組平瀬に住んだ。 その後、木曾義仲の二男・義重が大塩村に城を構えて王野田殿と称し、また仁科の城に入部したが、天福元年、荒神堂に城を築いて移った。その子孫を原氏という。 【4】桓武平姓小松氏族説 ― 前項にいう通り。なお「小松」の項第十二項、および「原」「横瀬」などの項に詳しい。 【5】犬養氏族 ― 一説に古代犬養氏の裔であるという説がある。 【6】氏人 ― 「平家物語」に「義仲の勢に仁科云々」、また「源平盛衰記」に「信濃国住人に仁科太郎守弘」、また「仁科次郎盛家、仁科次郎盛宗」などと見える。守弘はまた盛弘に作る。また「吉記」寿永二年に仁科次郎盛家を載せ、次郎盛宗は水島で死んだといい、同一人物かという。 その後、「承久記」巻一には次のようにある。 「ここにまた信濃の国の住人・仁科の平四郎(一本には二郎)盛遠という侍がいた。十四、十五の子を持っていたが、まだ元服もしておらず、ある宿願があって熊野詣での折、上皇の御熊野詣でがあったので、道でお会い申し上げた。上皇が『いかなる者ぞ』とお尋ねになったところ、『仁科の四郎平の盛遠、同じくその二人の男子です』と申し上げたので、上皇はその子供たちをご覧になると、いずれも清げであったので、院中に召し使おうとして、やがて四面の衆になされた」。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
西條ニシデウサイデウ條に詳か也。その他、東鑑卷二十五に四條四郞、三十二に西條兵衛尉、四條與一等見え、又信濃に此信府統記に據れば品國天皇の若宮親王、一條修理太夫高直·仁科森の城に入部、天曆中·駒澤に一城を築く。高直の二男を、犬養殿と稱して、今の成相組平瀨に住せり。其の後、木曾義仲の二男·義重·大鹽村に城を構へ、王野田殿と稱す、又仁科の城に入部せしが、天福元年、荒神堂に城を築いて移る、其の子孫を原氏と云ふ。……4桓武平姓小松氏族說前項に云へり。猶ほ小松條第十二項、及び原、橫瀨等の條に詳か也。 5.犬養氏族一に古代犬養氏の裔也との說あり。 6氏人平家物語に「義仲勢に仁科云々」また源平盛衰記に「信濃國住人に仁科太郞守弘」、又「仁科次郞盛家、仁科次郞盛宗」等見ゆ。守弘は又盛弘に作る。又吉記、壽水二年に仁科次郞盛家を載せ、次郞盛宗は水島に死す、同人かと云ふ。その後、承久記卷一に「こゝに又信濃の國の住人仁科の平四郞(一本二郞)盛遠といふ侍あり。十四、十五の子をもちけるが、いまだ元服もせず、さる宿願あるによりて、くまのまうでのおりふし、上皇のみくまのまうでありしかば、道にて參りあひ奉りけり。上皇『いかなるものぞ』と御尋ねありければ『仁科の四郞平のもりとほ、同二人の男子にて候』と申しければ、上皇その子どもを、御らんずるに、いづれもきよげなりければ、ゐん中にめしつかはれんとて、やがて四めんの衆にぞなされける。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
西条と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
西条に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「西」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が西条の前後にある名字です。
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