治田

はるたHaruta

全国4961位 ・ 約2,150人

治田(はるた・はりた・はつた)は、「和名抄」に近江国栗本郡の治田郷を収め、発多と注する。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
はるた
ローマ字
Haruta
全国順位
全国4961位
推計人数
約2,150人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

治田をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Haruta読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 近江国(滋賀県)
  • 安芸国(広島県)
  • 信濃国(長野県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

治田(はるた・はりた・はつた)は、「和名抄」に近江国(滋賀県)栗本郡の治田郷を収め、発多と注する。南笠の辺りであろう。南笠村に治田神社がある。のちに治田庄とも言う。また安芸(広島県)にも治田庄が見える。そのほか大和高市郡の治田神社、信濃国(長野県)更級郡の治田神社などが神名帳に載り、伊賀(三重県)・伊勢(三重県)にもこの地名が存する。 【1】治田連 ― 丹波道主の一族で、「姓氏録」左京皇別に「治田連は開化天皇の皇子・彦坐命の後である」とある。四世の孫・彦命が夷を征して功があり、近江国浅井郡の地を割いてこれを賜り、学田地とした。大沢真持らがその地を開墾し、居地とした。……(中略)当国栗本郡の治田郷とも関係があるか。 【2】尾張(愛知県)の治田連 ― 正倉院の天平二十年四月文書に「少初位上治田連石万呂(尾張国海部郡三宅郷戸主・私部男足戸口)」などが見える。 【3】無姓の治田氏 ― 正倉院の天平十七年文書などに見える。第一項の氏の後である。末裔は第六項を見よ。 【4】伊勢の治田氏 ― 員弁郡治田村から起こったものか。「伊勢兵乱記」に治田山城守という者が見え、治田城に拠った。「三国地志」に「治田堡、按ずるに治田治兵衛・同山城守の二代が居守した」とあり、 「名勝志」に「治田城址は麓村字城山(もと治田村の地)にあり、今は山林となっている。高さ百五十石尺ほど、古井戸・楼櫓の跡が残る。水藤中、楠正具がここに居た。その後、治田五兵衛およびその子・山城守が本城を守った(本郡中山村字宮の前に治田与七郎の城址があり、文明中に滅んだというが事跡は詳らかでない)。天正中、織田氏に滅ぼされ、城は廃された」(「背書国誌」「桑名志」)と見える。「白瀬」の項を参照。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

治田ハルタハリタハツタ和名抄、近江國栗本郡に治田〓を收め、發多と註す、南笠の邊なるべし。南笠村に治田神社あり。後に治田庄とも云ふ。又安藝に治田庄·見ゅ。此の外大和高市郡に治田神社、信濃國更級郡治田神社等神名帳に載せ、又伊賀、伊勢にも此の地名存す。 1治田連丹波道主の族にして、姓氏錄、左京皇別に「治田連」開化天皇の皇子彥坐命の後也。四世の孫·彥命、夷を征して功あり、因りて近江國淺井郡の地を割きて之を賜ひ、學田地と爲す。大澤眞持等·彼の地を擧開し、以つて居地と爲す。……當國栗本郡治田〓とも關係あるか。 2尾張の治田連正倉院天平二十年四月文書に「少初位上治田連石万呂(尾張國海部郡三宅郷戶主私部男足戶口)」など見ゆ。 3無尸の治田氏正倉院天平十七年文書等に見ゆ。第一項氏の後也。末裔第六項を見よ。 4伊勢の治田氏員辨郡治田村より起リしか。伊勢兵亂記に治田山城守と云ふ者見ゆ。治田城に據る。三國地志に「治田堡·按ずるに、治田治兵衞、同山城守、二代居守」と載せ、名勝志に「治田城址·麓村字城山(舊と治田村の地)に在り、今山林たり、高百五十石尺許リ、古井、樓櫓の跡を存す。水藤中、楠正具·之に居る。其の後、治田五兵衞、及び其の子山城守·本城を守る。(本郡中山村字宮の前に、治田與七郞の城址あり。文明中減亡すと云ふ、事蹟詳ならず)。天正中、織田氏に滅され、城廢す」(背書國誌、桑名志)」と見ゆ。なほ白瀨條參照。

姓氏家系大辞典 第5巻 192コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

治田と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

治田に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

「治田」で始まる・治田を含む名字

治田の字をそのまま含む、より長い名字です。

同じくらいの多さの名字

全国順位が治田の前後にある名字です。

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