後
うしろUshiro
全国4971位 ・ 約2,140人
後(読みは原文が崩れていて読み取れない)は、カバネとなり、また氏となったものも多く、さらに他のカバネを持つものもある。
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基本情報
- 読み
- うしろ
- ローマ字
- Ushiro
- 全国順位
- 全国4971位
- 推計人数
- 約2,140人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
後をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Ushiro読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 近江国(滋賀県)
- 山城国(京都府)
- 大和国(奈良県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
後(読みは原文が崩れていて読み取れない)は、カバネとなり、また氏となったものも多く、さらに他のカバネを持つものもある。以下、順に説明する。 【1】官職的カバネ ― 上古、曰佐(訳語)の職にあった者の子孫がその職を世襲して、あたかもカバネのようにこの職名を称した。このカバネを称する氏のうち、出自が明らかなものはすべて帰化族であることから、この職には主に韓族・渓人の者を任じたことがうかがえる。詳しくは「日本上代における社会組織の研究」を見よ。 【2】曰佐 ― 欽明朝に帰化した百済人・巳知部の後である。巳知部は「姓氏録」に秦氏の一族とする。おそらく中国・朝鮮の言葉に通じていたことから訳語の職を与えられたものであろう。奈良を本拠とし、ほかに近江野洲郡・山城相楽郡などに分かれ住んだ。その子孫は「奈良曰佐」の項を参照。……(中略) 【3】大和紀姓の曰佐 ― 紀臣の一族と称する。「姓氏録」大和皇別に「曰佐は紀朝臣と同祖で、武内宿禰の後である」と見える。延暦二十四年紀に「大和国(奈良県)人・曰佐方麻呂」があり、紀野朝臣の姓を賜った。「紀野」の項を参照。 【4】曰比 ― 巳知部の子孫である。和銅七年十一月紀に見える「有智郡の女・曰比信紗云々、民直果安の妻也」の曰比は、曰佐の誤写であろう。 【5】山城紀姓の曰佐 ― 紀臣の一族という。曰佐の長であった氏で、武内宿禰の裔という。「姓氏録」山城皇別に「曰佐は紀朝臣と同祖で、武内宿禰の後である。欽明天皇の御代、同族四人が国民三十五人を率いて帰化した。天皇はこれを留め、その遠来をもって勅して珍勲臣と称し、三十九人の訳とした。当時の人はこれを号して訳氏と言った」と見える。 「男は諸石臣、次に麻奈臣で、これは近江国(滋賀県)野洲郡の曰佐・山代国相楽郡山村の曰佐・大和国添上郡の曰佐などの祖である」と見えるが、たいへん解読しにくい。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
後カバネとなり。又氏となれるも多く、更に他のカバネを有するものもあり、以下順次說明せん。 1官職的カバホ上古曰佐(譯語)の職にありし者の子孫其の業を世襲して、恰もカバネの如く此の職名を稱す。此のカバネを稱する氏の内、出自の明白なるは、總べて歸化族なるにより、此の職には主として韓族、溪人の者を補せしを知るに足らむ。詳綱は「日本上代に於ける社會組織の研究」を見よ。 2曰佐欽明朝歸化せし百濟人巳知部の後也。巳知部は姓氏錄に秦氏の族とせリ。蓋し漢土、韓國の語に通ずるよリ譯語の職を與へしものならん。奈良を本據とし、外に近江野洲郡、山城相樂郡等に分れ住めり。其の子孫ナラ曰佐條を見よ。……3大和紀姓の曰佐紀臣の族なりと稱す。姓氏錄、大和皇別に「曰佐、紀朝臣同祖、武内宿禰の後也、」と見ゆ。延曆廿四年紀に「大和國人曰佐方麻呂」あり、紀野朝臣姓を賜ふ。キノ條を見よ。 4曰比巳知部の裔也。和銅七年十一月紀に「有智郡女曰比信紗云々、民直果安妻也、」と見ゆる曰比は、曰佐の誤寫なるべし。 5山城紀姓の曰佐紀臣の族なりと云ふ。曰佐の長たりし氏にて、武內宿禰の斎と云ふ。姓氏錄、山城皇別に「曰佐、紀朝臣同祖、武內宿禰の後也。欽明天皇の御世、同族四人、國民三十五人を率ゐて歸化す。天皇拾(一本務に作る)め、其の遠來を以つて、勅して珍動臣と稱し、三十九人の譯と爲す。時人號して譯氏と云ふ。男諸石臣、次に麻奈臣、是れ近江國野洲郡の曰佐、山代國相樂郡山村の曰佐、大和國添上郡の曰佐等の祖也、」と見ゆるも頗る解き難し。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
後と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
後に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「後」で始まる・後を含む名字
後の字をそのまま含む、より長い名字です。
同じくらいの多さの名字
全国順位が後の前後にある名字です。
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