扇

佐治

さじSaji

全国2368位 ・ 約6,090人

佐治(さぢ)は、「和名抄」の丹波国氷上郡に佐沼郷があり、高山寺本には佐治に作る。

2件の公開家系図に 2人

基本情報

読み
さじ
ローマ字
Saji
全国順位
全国2368位
推計人数
約6,090人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

佐治をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Saji読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「佐治」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第3巻 174コマに「紋軍扇」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 丹波国(京都府・兵庫県)
  • 因幡国(鳥取県)
  • 近江国(滋賀県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

佐治(さぢ)は、「和名抄」の丹波国(京都府・兵庫県)氷上郡に佐沼郷があり、高山寺本には佐治に作る。後世、佐治荘といい、「応仁記」に「丹波佐治荘青梨山」とある。なお因幡国(鳥取県)智頭郡にも佐沼郷があるが、佐治の誤りで、後世も佐治の郷が存する。また近江国(滋賀県)甲賀郡にも佐治庄が見える。 【1】足立氏族 ― 丹波国氷上郡佐治郷から起こる。足立氏の一族で、「太平記」巻八に「(元弘三年三月)丹波国の住人・佐治孫五郎という兵が、その頃かつてなかった五尺三寸の太刀を用いて……」とあり、また「応仁記」巻三に佐治氏が見え、「応仁別記」にもある。天正中、明智氏に滅ぼされた。 【2】尾張氏族 ― 因幡国智頭郡佐治郷から起こる。本姓は尾張氏で、中世は佐治郷の地頭職であった。〇内苅地村に居城の跡があり、古城と伝える。……(中略)氏人は永仁七年の文書に「佐治五郎尾張忠重」と見え、また建武四年の文書に「佐治郷の領主・佐治孫四郎重秦」がある。また「太平記」巻三十二、神南合戦の条に因幡山名勢のうちに佐治但馬守を載せる。重秦の末孫という。応永中に至ってもなお盛んであったという。また隣村の古市村にも古城跡が存し、佐治氏の跡かという。後世、加勢木邑にこの氏が存する(「因幡志」)。 【3】桓武平氏北条氏流 ― 近江国甲賀郡佐治庄から起こり、佐治城(佐治庄佐治村)に拠った。康平中、上総介平維時の子・業国が初めて本庄を領して佐治氏と名乗ったと伝える。小佐治邑の小佐治神社は、文明二年四月、佐治美作守平為氏の建立という。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

佐治サヂ和名抄、丹波國氷上郡に佐沼郷わり、高山寺本·佐治に作る。後世、佐治莊と云ふ、應仁記に「丹波佐治莊靑梨山」を載せたり。猶ほ因幡國智頭郡に佐沼〓あリ、佐治の誤にて、後世も佐治の〓存す。又近江國甲賀郡に佐治庄·見ゆ。 1足立氏族丹波國氷上郡佐治〓より起る。足立氏の族にして、太平記卷八に「(元弘三年三月)丹波國の住人·佐治孫五郞と云ひける兵、其の比·曾てなかりし五尺三寸の太刀を以つて云々」と載せ、又應仁記卷三に佐治氏·見え、應仁別記にもあり。天正中明智氏に滅さる。 2尾張氏族因幡國智頭郭佐治〓より起る。本姓尾張氏にして、中世·佐治〓の地頭職なりき。〓內苅地村に居城跡ありて古城ノ云ふとぞ。……氏人永仁七年の文書に「佐治五郞尾張忠重」見え、また建武四年文書に「佐治〓の領主·佐治孫四郞重秦」あり。又太平記卷三十二、神南合戰條に因幡山名勢の内に佐治但馬守を載せたり。重秦の末孫と云ふ。應永中に至り猶ほ盛なりと。又隣村古市村にも古城跡存す、佐治氏の碧かと云ふ。後世加勢木邑に此の氏存す(因幡志)。 3榎武平氏北條氏流近江國甲賀郡佐治庄より起リ、佐治城(佐治庄佐治村)に據る。康平中、上總介平維時の子業國·始めて本庄を領して佐治氏と云ふと傳へらる。小佐治邑小佐治神社は、文明二年四月、佐治美作守平爲氏の建立なりと。

姓氏家系大辞典 第3巻 173コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

この名字の人々

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