樫村

かしむらKashimura

全国2103位 ・ 約7,070人

樫村(かしむら)は、奥州田村家臣にこの氏があり、そのほか磐城・岩代に多い。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
かしむら
ローマ字
Kashimura
全国順位
全国2103位
推計人数
約7,070人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

樫村をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Kashimura読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 陸奥国(東北地方)
  • 磐城国(福島県・宮城県)
  • 岩代国(福島県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

樫村(かしむら)は、奥州(東北地方)田村家臣にこの氏があり、そのほか磐城(福島県・宮城県)・岩代(福島県)に多い。おそらく次の氏と関係があるだろう。 (このあと原文は次の見出し「加志村」の記事に移る) 加志村(かしむら)は、常陸国(茨城県)久慈郡加志村から起こる。藤原南家二階堂氏の一族で、名族である。「新編国志」に次のようにある。 「加志村は藤原氏で、もとは二階堂である。久恵村加志村から出た(今は富岡村に改める)。藤原為憲の六世の孫を白尾三郎行遠という。行遠の子・山城守行政が二階堂と称した(「二階堂系図」)。 源頼朝が興ったとき、鎌倉の政所執事となり、二子を行光・行村という。行光は信濃守に任じ、執事を継いだ。行村は隠岐守に任じ、評定衆であった。兄弟は鹿島と結んで用いられ、那珂西郡沙汰人として那珂西・久慈四か所の地頭職を兼ねた。 行村の二子を行義といい、出羽守であった。行義の子・義賢は左衛門尉・民部丞と称し、伊賀守であった。子の行継、その子の義員は小名を長寿丸といい、祖父義賢の遺業である久慈西郡加志村を受けてその地頭となった。これによって初めて加志村氏と称した。あわせて那珂郡酒戸○(この一字は原文が崩れている)を得ていた(「吉田社文書」)。 弘安八年、父の行継は安達泰盛の反乱に加わった。泰盛が敗れると、義員はその地頭職を失った。子の行光(系図・文書に見える)は伊賀守と称し、北条氏の執権・平宗綱に訴えて冤罪を哀訴した。乾元二年、旧に復することができた。 子の行経は壱岐守で早世した。その子の衆経もまた伊賀守で、子の家政に至り、行経の弟である但馬守行○(この一字は原文が崩れている)・大弐房行喜らの遺跡を合わせた。この後、系譜を失って代々の順序は詳らかでない。頼行がおり、おそらく家政の子で、小倉・北檜(久慈西)の二か所を兼ねていた(文書)。」

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

樫村カシムラ奥州田村家臣に此の氏あリ、其の他磐城岩代に多し。恐らく次の氏と関係あらん。加志村カシムラ常陸國久慈郡加志村よリ起る。藤原南家二階堂氏の族にして、名族なり。新編國志に「加志村、藤原氏にて、もとは二階堂なり。久惠村加志村より出づ(今富岡村に改む)。藤原爲憲六世孫を白尾三郞行遠と曰ふ。行違の子山城守行政·二階堂と稱す(二階堂系圖)。源頼朝の興るに當りて、鎌倉の政所執事たり、二子を行光、行村と曰ふ。行光·信濃守に任じ、執事を襲ぐ。行村·隱岐守に任じ、評定衆たり。兄弟鹿島と通じ用ひらる、其の並に那珂西郡沙汰人を以て、那珂西、久悲四の地頭職を兼ぬ。行村二子、行義と曰ふ出羽守たり。行義の子義賢、左衞門尉、民部丞と稱す、伊賀守たり。子行繼其の子義員·小名長壽丸、祖父義賢の遺業久慈西郡加志村を受けて、其の地頭たり。因て始めて加志村氏と稱す。兼ねて那珂郡酒戶〓を食む(吉田社文書)。弘安八年、父行繼、安達泰盛の叛に黨す。泰盛敗るゝに及びて、義員·其の地頭職を失ふ。子行光(系圖、文書)伊賀守と稱す、北條氏の宰平宗綱に就きて、寃を哀訴す。乾元二年、舊に復することを得たり。子行經、壹岐守、早世。其の子衆經、亦伊賀守、子家政に致り、行經の舍弟但馬守行〓、大貳房行喜等の遺跡を合す。この後、其の譜牒を失ひて、世次を詳かにせず。頼行あり、蓋し家政の子、小倉、北檜(久慈西)二地を兼ね〓む(文書)。

姓氏家系大辞典 第2巻 168コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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樫村と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

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