柏

柏山

かしわやまKashiwayama

全国7094位 ・ 約1,280人

柏山(かしやま・かしはやま)は、樫山とも書き、相山とも言う。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
かしわやま
ローマ字
Kashiwayama
全国順位
全国7094位
推計人数
約1,280人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

柏山をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Kashiwayama読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「柏山」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第2巻 169コマに「紋を石たゝみ、旗の紋を三柏」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 相模国(神奈川県)
  • 陸中国(岩手県・秋田県)
  • 山城国(京都府)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

柏山(かしやま・かしはやま)は、樫山とも書き、相山とも言う。この氏には次の二流がある。 【1】秀郷流藤原姓波多野氏流 ― 相模国(神奈川県)足柄上郡柏山邑より起こる。……(中略)沼田の項を参照。 【2】桓武平氏 ― 陸中胆沢の大族で、胆沢郡柏山より起こり、柏山城(一に大林城)に拠る。この地(永沢邑)に駒形神社の里宮があり、「封内記」に「天文元年、柏山伊勢守再興。本郡西根邑駒形神社の末社なり。観音堂、大永五年、柏山伊勢守再興」とある。 また古い塁があり、同書に「大林城と号す。伝えて言う、柏山伊勢守の居る所なり」とある。柏山氏は鎌倉以来の旧族で、一時勢力があったが、天正十八年、柏山中務明家が葛西氏と行動を共にしたことによりその領土を失い、子孫は南部氏に仕えた。 「奥南盛風記」には「柏山は、胆沢郡上伊沢三十三○、下伊沢二十四○を領する(この単位を示す字は原文が崩れている)。元祖は大相国○盛の孫であり(この一字は原文が崩れている)、平家没落の時、乳母に伴われて羽州(山形県・秋田県)秋田に下り、忍んで暮らした。 文治五年、泰衡滅亡後、奥州(東北地方)の検断・那次川左衛門が下向して奉行を務めたとき(那次川検断とは葛西氏であろう)、乳母が出羽より来て那次川を頼った。那次川は平家の旧恩があったため、これを留守職・葛西壱岐守○重に相談し(この一字は原文が崩れている)、鎌倉殿頼朝公に取り次いで、伊沢郡を賜った。 その乳母は幼子を伴い、伊沢西根の山伏と見える樫本と同じ河内(大阪府)の名族であって、後にその家に宿り、那次川が下向するのを待ち受けて、同郡の大林に城を取り立てて居城とし、柏山殿と申した」とある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

柏山カシヤマカシハヤマ又樫山に作る相山ともあり。此の氏には次の二流あ"。 1秀〓流藤原姓波多野氏流相摸國足柄上郡柏山邑より起る。……ヌマタ條を見よ。 2桓武平氏陸中臟澤の大族にして、膽澤郡柏山より起リ、柏山城(一に大林城)に據る。此の地(永澤邑)に駒形神社の里宮あり、封內記に「天文元年、柏山伊勢守再興。本郡西根邑駒形神社の末社也。觀音堂、大永五年、柏山伊勢守再興」と。又古壘あり、同記に「大林城と號す。傳へて曰ふ、柏山伊勢守の居る所なり」と。柏山氏は鎌倉以來の舊族にして、一時勢力ありしが、天正十八年、柏山中務明家、葛西氏と事を共にせしにより其の領土を失ひ、子孫南部氏に仕ふ。奥南盛風記に「柏山は、膽澤郡上伊澤三十三〓、下伊澤二十四〓を領す。元祖は大相國〓盛の孫にして、平家沒落の時、乳母に具せられて、羽州秋田に下リ忍び居る。文治五年、泰衡減亡後、奥州の撿斷那次川左衞門·下向して奉行する時、(那次川撿斷とは葛四氏ならん)、乳母出羽より來り、那次川を賴む。那次川·平家の舊恩ある故、是·を留主葛西壹岐守〓重に相談して、鎌倉殿賴朝公に達し、伊澤郡を賜はる。彼の乳母·効兒を相具して、伊澤西根の山伏と見ゆる樫本と同じ河内の名族にして、後の家に宿り那次川か下向を待ち請けて、同郡大林に取立て居城し、柏山殿と申す。

姓氏家系大辞典 第2巻 169コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ漢字を使う名字

柏山に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

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全国順位が柏山の前後にある名字です。

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