木本

きもとKimoto

全国740位 ・ 約2.6万人

木本(きのもと/きもと)は、紀伊に木本庄、そのほか河内・近江・越前などにもこの地名がある。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
きもと
ローマ字
Kimoto
全国順位
全国740位
推計人数
約2.6万人
全国比率
日本人のおよそ0.021%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

木本をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Kimoto読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 紀伊国(和歌山県)
  • 河内国(大阪府)
  • 近江国(滋賀県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

木本(きのもと/きもと)は、紀伊(和歌山県)に木本庄、そのほか河内(大阪府)・近江(滋賀県)・越前(福井県)などにもこの地名がある。 【1】息長姓 ― 紀伊国牟婁郡の木本御厨から起こった。庄司氏文書などによれば、崇徳帝の時(このあたりに「姓陸奥国(東北地方)伊具郡」「『日向記』に木宮喜右衛門尉」という別項の断片が紛れ込む)、紀伊国牟婁郡の人・息長常貞が木本御厨の惣検校職に任補せられ、子孫が庄司職であった。その後、庄司氏と称したという。「庄司」の項を参照。 【2】湯浅氏流 ― 紀伊国海部郡の木本庄から起こった。この地は『大安寺資財帳』に木本○と記し、「紀伊国木本○の葦原百七十町、四至云々。右は飛鳥浄御原宮御宇天皇、歳次癸酉に納め賜わったもの」とある。中世は湯浅党の拠有で、正応二年の結番次第に「第四番、他門、木本庄」とある。……(中略) そして庄内に木本八幡宮がある。『続風土記』に木本庄木本村の地士として木本忠蔵を載せる。庄官の子孫か。 これより前、建武二年二月一日の湯浅木本新左衛門尉宗元の軍忠状に「飯盛城の内の徒を対治するため、大将軍がこの所へ御発向の後、今年正月晦日、紀州の張本人・六十谷彦七定向を討ち取り終わった。この条は御実検を遂げ終わった、云々」とある。この人のことは次項を参照。 【3】和泉(大阪府)の木本氏 ― 前項の木本宗元は和泉の人で、熊取の地頭だという。元弘三年正月、護良親王の令旨に応じ、大和宇陀郡の波津坂で戦った。その文書に「木本宗元は最前に御方に参り、合戦の忠節を致した。なかでも出羽入道が吉野御所に寄せ来る時、大将・中院少将家に属し奉り、大和国(奈良県)宇陀郡の波津坂へ馳せ向かって合戦を致し、忠節の条は兵部卿親王家の御感の令旨に炳焉である」などと見える。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

木本キノモトキモト紀伊に木本庄、其の他、河内、近江、越前等にも此の地名あり。 1息長姓紀伊國牟婁郡木本御厨より起る。莊司氏文書等に據るに崇德帝の時、姓陸奥國伊具郡參日向記に木宮喜右衞門尉紀伊國牟婁郡の人·息長常貞、木本御厨撤按職に任補せられ、子孫莊司職たり。其の後、莊司氏と稱すと。莊司條を見よ。 2湯淺氏流紀伊國海部郡木本庄よリ起るこの地は、大安寺資財帳に木本〓と記し、「紀伊國木本〓葦原佰漆拾町、四至云々。右は飛鳥淨御原宮御宇天皇歲次癸酉、納め賜ふ者」とあり。中世は湯淺黨の據有にして、正應二年結番次第に子四番、他門、木本庄。……而して庄内に木本八幡宮あり。續風土記に木本庄木本村地士に木本忠藏を載せたり。庄官の後か。これより前、建武二年二月一日の湯淺木本新左衞門尉宗元の軍忠狀に「飯盛城、内徒對治の爲、大將軍當所を御發向の後、今年正月晦日、紀州張本人六十谷彥七定向を討取り畢んぬ。此の條御實檢を遂げ畢る云々」と。この人の事は次項を見よ。 3和泉の木本氏前項木本宗元は和泉の人にして、熊取の地頭なりと。元弘三年正月、護良親王の令旨に應じ、大和字陀郡波津坂に戰ふ。其の文書に「木本宗元最前御方に參り、合戰の忠節を致す。就中、出羽入道が吉野御所に寄來る時、大將中院少將家に屬し奉り、大和國字多郡波津坂に馳せ向ひ、合戰を致し、忠節の條、兵部卿親王家·御感の令旨に炳焉たリ」など見ゆ。

姓氏家系大辞典 第2巻 393コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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