有坂
ありさかArisaka
全国2657位 ・ 約5,220人
有坂(ありさか)は、北陸の名族である。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- ありさか
- ローマ字
- Arisaka
- 全国順位
- 全国2657位
- 推計人数
- 約5,220人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
有坂をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Arisaka読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 信濃国(長野県)
- 豊前国(福岡県・大分県)
- 能登国(石川県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
有坂(ありさか)は、北陸の名族である。信濃国(長野県)小県郡に有坂があり、その地から起こったものか。 【1】藤原南家工藤氏流 ― 工藤二階堂系図に工藤祐経-結時-祐朝(有坂二郎)と見える。貢大夫(豊前(福岡県・大分県))……(この先は原文が崩れて読み取れない) 【2】北陸の有坂氏 ―(この部分は原文が崩れて読み取れない)能登国(石川県)七尾城主に有坂備中守があり、天正中の事である。天正七年、温井景隆・三宅長盛が謀反を起こし、有坂を攻めてこの城を奪った、と「三州志」に見える。その後、有坂斎宮助があり、慶長年間の一揆の頭として越後魚沼郡の下倉坂を攻めて陥落させた。 【3】そのほか武田家臣に有坂氏があり、小森文書に見える。また磐城田村郡にもこの氏があり、信濃にも現存する。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
有坂アリサカ北陸の名族なり、信濃國小縣郡に有阪あり、その地より起るか。 1藤原南家工藤氏流工藤二階堂系圖に工藤祐經-結時-祐朝(有坂二郞)と見ゆ。貢大夫(豊前二2北陸の有坂氏能登嚴信樣御分、城持侍大將衆、能登國七足城主に有坂備中守あり、天正中の事なり。七年、温井景隆、三宅長盛、逆意を振ひ有坂を攻めて斯城を奪へり、三州志に見ゆ。其の後有坂齋宮助あり、慶長年間一撰の頭にて越後魚沼郡の下倉坂を攻めて陷る。 3其の他武田家臣に有坂氏あり、小森文書に見ゆ。又磐城田村郡にも此の氏あり信濃にも現存す。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
有坂と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
有坂に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「有」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が有坂の前後にある名字です。
存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →
