戸川

とがわTogawa

全国1650位 ・ 約9,680人

戸川(とがわ)は、「富川」の項、および以下の各項を参照。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
とがわ
ローマ字
Togawa
全国順位
全国1650位
推計人数
約9,680人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

戸川をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Togawa読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 美作国(岡山県)
  • 備中国(岡山県)
  • 肥後国(熊本県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

戸川(とがわ)は、「富川」の項、および以下の各項を参照。 【1】河野氏族 ― 美作国(岡山県)苦四郡戸川村から起こったものか。あるいは藤原姓と称し、「寛政系譜」には藤原氏支流に収める。家譜には「河野通信の後胤・稲葉通弘の四代・富川助之丞正実が備中児島に住み、宇喜多能家に仕えた。その子・平右衛門定安(助七郎、玄蕃頭)が富川を称した。その子・肥後守秀安(正利、平右衛門)が戸川に改めた」という。 「藩翰譜」に「肥後守藤原達安は、故肥後守秀安の男である。秀安の父・玄蕃定安は生国安芸の者である」とある。 (このあと原文は別の見出し「富樫」の記事に移る)那谷城はまた那多城とも書く。延元元年、新田義貞が富樫を攻めてこの城を奪い、のちにまた富樫氏に属した。また山代城は、長享年間に富樫泰行が拠った。 【5】信仰 ― 富樫家国の孫・家近は、かつて寛治年中に京師に上番し、城南離宮の造営に加わり、稲荷神の○(この一節は原文が崩れていて読み取れない)を受けた。これによって帰国ののち稲荷廟を造って土地神と称し、神会の日には小豆飯を供えると伝えられる。ただし富樫氏に妖狐の霊異があることは、家近から始まったのではない。その祖先・利仁将軍が北国へ下向したとき、すでに妖狐の霊異があったことが「宇治拾遺物語」に見える(「三州志」)。思うに秦氏の信仰を受けたものか。「はた」の項を参照。 【6】出羽(山形県・秋田県)の富樫氏 ― 仙北の豪族・内城氏は前述の氏の子孫という。「大曲内城由緒記」に「内城刑部の先祖は加州(石川県)富樫一家で、文和年中、仙北神宮寺村へ参着した」とある。系図によれば、富樫左衛門佐誠白に当たる。古川を堀に引き入れて居館を築いたので、内城と称したという。氏神・白山宮実蔵寺を建立した。「内城」の項を見よ。その後、学者に富樫重喬などがある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

戶川トガハ富川條、及び以下各項參照。 1河野氏族美作國苦四郡戶川邑より起りしか。或は藤姓と稱し、寛政系譜に藤原氏支流に收む。家譜には「河野通信の後胤·稲葉通弘が四代富川助之丞正實·備中兒島に住し、宇喜多能家に仕ふ、其の子平右衞門定安(助七郞、玄蕃頭)·富川を稱す。其の子肥後守秀安(正利、平右衞門)戶川に改む」と云ふ。藩輪譜に「肥後守藤原達安は、故肥後守秀安が男也秀安が父玄蕃定安は、生國安藝の者、その他、那谷城は又那多城とも書す、延元元年、新田義貞·富樫を攻めて當城を奪ひ.後又富幡氏に屬す。又山代城は、長享年間·富樫泰行據る。 5信仰富樫家國の孫家近·曾て寛治年中京師に紙役し、城南離宮の造營に與り、稻荷神の〓を受く。よりて歸國の後、稻荷廟を造つて土地神と稱し、神會の日は小豆飯を供すと傳へらる。されど富樫氏に妖狐の靈異あること、家近より始まるに非ず。其の祖先利仁將軍·北國下向の時、妖狐の性異ありしこと·既に宇治拾遺に見ゆ(三州志)。蓋し秦氏の信仰を受けしものか。ハタ條參照。 6出羽の富樫氏仙北の豪族内城氏は前述氏の裔也と。大曲內城由緒記に「内城刑部が先祖は、賀州富樫一家にて、文和年中、仙乏神宮寺村へ參着す」と。系圖に據れば、富樫左衞門佐誠白に當る。古川を堀に引き入れて居館を築く、よりて則ち內城と稱すと也。氏神白山宮實蔵寺を建立す。內城條を見よ。その後、學者に富樫重喬等あり。

姓氏家系大辞典 第4巻 264コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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