新妻

にいづまNiizuma

全国1645位 ・ 約9,710人

新妻(にいづま)は、 【1】磐城の新妻氏 ― 建武四年の伊賀盛光代麻続盛○軍忠状に「小山駿河権守の若党・新妻次郎左衛門尉」と見える。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
にいづま
ローマ字
Niizuma
全国順位
全国1645位
推計人数
約9,710人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

新妻をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Niizuma読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 磐城国(福島県・宮城県)
  • 伊賀国(三重県)
  • 駿河国(静岡県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

新妻(にいづま)は、 【1】磐城(福島県・宮城県)の新妻氏 ― 建武四年の伊賀盛光代麻続盛○軍忠状に「小山駿河権守の若党・新妻次郎左衛門尉」と見える。次項の氏と同族か。 【2】桓武平氏千葉氏族 ― 千葉常兼の四代孫・常親の後という。「奥相秘鑑」に「磐前郡四倉駅に妙見祠があって龍子山といい、今は松岡という。これは千葉大須賀氏の末流・新妻弾正の住居の由緒によって建立した」と述べる。 「磐城古代記」に「金沢の撃手館址は新妻式部少輔の居所で、文明六年に落城した」という。「大須賀」の項を参照せよ。 また大永四年、相馬勢が岩城領へ攻め入り、すでに浅見川を越えて敵を追い散らし、相馬顕胤は山に宿陣した。翌日、久之浜から四倉浜を通り新田川に至ると、新田城主の新妻氏は五百騎ばかりで……(この先は原文の行が崩れていて読み取れない)

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

新妻ニヒツマ1磐城の新妻氏建武四年の伊賀盛光代麻續盛〓軍忠狀に「小山駿河権守の若黨新妻次郞左衞門尉」見ゆ。次項氏と同族か。 2桓武平氏千葉氏族千葉常兼が四代孫常親の後也と云ふ。奥相秘艦に「磐前郡四倉驛に妙見祠ありて龍子山と云ひ、今松岡といふ。是は千葉大須賀氏の末流·新妻彈正住居の由緣にて、建立せし」と述ペ磐城古代記に「金澤の撃手舘址は、新妻式部少輔の居所にて、文明六年落城す」と云ふ。大須賀條を參照せよ。又大永四年、相馬勢·岩城領へ攻め入り、既に淺見川を越えて、敵を追ひ散らし、相馬顯胤は山に宿陣し、翌日久之濱より四倉濱を通り、新田川に至るに、新田城主新妻氏は、五百騎計にて、此の川を前新名源左衞せたり。

姓氏家系大辞典 第4巻 576コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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