勝部
かつべKatsube
全国1638位 ・ 約9,740人
勝部(すぐりべ・まさるべ・かちべ・かつべ)は、もと帰化人をもって組織された品部で、勝氏配下の民である。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- かつべ
- ローマ字
- Katsube
- 全国順位
- 全国1638位
- 推計人数
- 約9,740人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
勝部をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Katsube読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「勝部」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
目結
絞り染めの結び目を四つ、角を合わせて並べた図案。
『姓氏家系大辞典』第3巻 393コマに「家紋四目結」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 山城国(京都府)
- 播磨国(兵庫県)
- 伯耆国(鳥取県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
勝部(すぐりべ・まさるべ・かちべ・かつべ)は、もと帰化人をもって組織された品部で、勝氏配下の民である。後世は様々な氏族がこの部名を名乗った。これらは勝部という地名を負ったものである。……(中略) 【1】秦族の勝部 ― 「雄略紀」に「秦酒公が百八十種の勝部を率いて、庸調の絹織物を献じた」ことを載せている。これは秦氏の一族の勝部である。「はた」の項を見よ。本貫は山城(京都府)であろう。 【2】播磨(兵庫県)の勝部 ― 「播磨風土記」揖保郡大家里の条に「勝部と号する理由は、小治田河原天皇(推古天皇か)の御代、大倭千代勝部らを遣わして田を開墾させた。すなわちこの山辺に居た。それゆえ勝部岡と号する」と見える。 【3】伯耆(鳥取県)の勝部 ― 「和名抄」伯耆国久米郡に勝部郷を収める。また貞観十三年紀に伯耆国勝宿祠神が見える。「勝」の項を見よ。 【4】因幡(鳥取県)の勝部 ― 「和名抄」当国気多郡に勝部郷を収める。 【5】出雲(島根県)の勝部 ― 天平十二年六月紀に「大原采女誘部島女」とあり、また「大税販給歴名帳」拾○飼寺文和四年に「漆沼郷深江里勝部榾女、河内郷伊美里勝部味女、朝山郷稗原里勝部小売」ら十九人の名を列ねている。なお天平六年の計会帳に「勝部建島」という人が見える。第八項以下を参照。 【6】越前(福井県)の勝部 ― 「和名抄」当国今立郡に勝戸郷があり、「いそべ」「かつべ」の項を参照。 【7】上総(千葉県)の勝部 ― 「和名抄」当国周准郡に勝部郷および勝川郷がある。 【8】勝部首 ― 勝部の伴造家で、出雲にある。「大税販給歴名帳」に「工田里勝部首比枳、出雲郷朝妻里勝部首荒海」ほか三人、「伊知里勝部首墨田」などが見える。 【9】勝部造 ― これも勝部の伴造家である。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
勝部スグリベマサルベカチベカツペもと歸化旅を以つて組織されし品部にして、勝氏配下の民也。後世は種々の氏族·此の部名を冒す、これ等は勝部なる地名を負ひし也。……1秦族の勝部雄略紀に「秦酒公·百八十種の勝部を率ゐて、庸調絹織を献ずる」事を載せたり。こは秦氏の族類の勝部なリ。ハタ條を見よ。本貫は山城なるべし。 2播磨の勝部播磨風土記、排保郡大家里條に「勝部と號する所以は、小治田河原天皇(推古天皇か)の世、大倭千代勝部等を遣はして、田を墾さしむ。卽ち此の山邊に居る。故に勝部岡と號す」と見ゆ。 3伯耆の勝部和名抄、伯耆國久米郡に勝部〓を收む。又貞觀十三年紀に伯耆國勝宿祠神·見ゆ。勝條を見よ。 4因幡の勝部和名抄、當國氣多郡に勝部郷を收む。 5出雲の勝部天平十二年六月紀に「大原采女誘部島女、」また大稅販給歷名帳に拾又飼寺文和四年「漆沼〓深江里勝部榾女、河内〓伊美里勝部味女、朝山〓稗原里勝部小賣一等十九人の名を列ねたり。猶ほ天平六年の計會帳に「勝部建島」と云ふ人見ゆ。第八項以下參照。 6越前の勝部和名抄、常國今立郡に勝戶〓あり、イソベ、カツベ條參照。 7上總の勝部和名抄、當國周准郡に勝部〓、及び勝川〓あり。 8勝部首勝部の伴造家にして、出雲にあり。大稅眼給歷名帳に「工田里勝部首比枳、出雲〓朝妻里勝部首荒海、」外三人、「伊知里勝部首墨田、」等見えたり。 9勝部造これも勝部の伴造家なり。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
勝部に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「勝」の字を含む名字
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全国順位が勝部の前後にある名字です。
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