花桔梗

徳田

とくだTokuda

全国477位 ・ 約4.3万人

徳田(とくだ)は、前の項と通じて用いられ、また常陸・美濃・信濃・陸中・能登・石見などにこの地名がある。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
とくだ
ローマ字
Tokuda
全国順位
全国477位
推計人数
約4.3万人
全国比率
日本人のおよそ0.035%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

徳田をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Tokuda読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「徳田」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第4巻 282コマに「紋立花桔梗」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 美濃国(岐阜県)
  • 信濃国(長野県)
  • 陸中国(岩手県・秋田県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

徳田(とくだ)は、前の項と通じて用いられ、また常陸(茨城県)・美濃(岐阜県)・信濃(長野県)・陸中(岩手県・秋田県)・能登(石川県)・石見(島根県)などにこの地名がある。 【1】能登・加賀(石川県)の徳田氏 ― 前項の氏と同じ。『三州志』能美郡の条に「岩淵城は軽海○岩淵村にある。堡主を徳田志摩という」と載せ、また同郡千代城(徳橋○千代本村)の条に「永禄五年、朝倉氏と加賀の一揆との和睦が再び破れて、柏野・杉山・倉橋・千代に砦を築いたという。この後、徳田志摩が居たというが、その伝えは得られない」と載せ、また加賀藩給帳に「五人扶持(紋は立花桔梗)徳田純作」を挙げる。 【2】丹波(京都府・兵庫県)の徳田氏 ― 氷上郡の名族で、『丹波志』に「権頭、云々。徳田氏。子孫は母坪村。右の二株は古い家である。子孫は七代目の徳田藤四郎」とある。 【3】石見の徳田氏 ― 那賀郡の徳田村から起こった。同村の徳田城主・徳田刑部少輔兼行は、『石見志』に「福屋氏の家老。福屋氏の支流か。永禄五年三月、福屋隆兼に従って出雲(島根県)へ行き、後に大和(奈良県)・阿波(徳島県)へ漂泊した」とある。忠勇の士として知られる。「福屋」の項を参照。 【4】新田氏族 ― 吉崎庄兵衛惟忠の子・儀兵衛惟員が徳田氏を称した。その子は儀兵衛惟望、金之助惟之であるという(『新田族譜』)。 【5】雑載 ― この氏は徳川時代、二本松丹羽藩の用人、鯖江間部藩の重臣、新谷加藤藩の重臣であった(『武鑑』)。また水戸藩士に徳田五左衛門(二百五十石)があり、錦江と号して史館総裁となった。また薩摩(鹿児島県)の軍学者に徳田邑興斎があり、山県大弐の門人である。また香宗我部家臣に徳田彦右衛門が見え、また備前(岡山県)・伊勢(三重県)・志摩(三重県)などにもある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

德田トクダ前條と通じ用ひられ、又常陸美濃、信濃、陸中、能登、石見等に此の地名存す。 1能登加賀の德田氏前條氏に同じ。三州志、能美郡條に「岩淵城は輕海〓岩淵村に在り。堡主を德田志摩と云ふ」と載せ、また同郡千代域(德橋〓千代本村)條に「永祿五年、朝倉氏と賀賊との和睦·再び破れて、柏野、杉山、倉橋、千代に保障を築きしとなり。此の後·德田志摩居たりといへども、其の傳を得ず」と載せ、又加賀藩給帳に「五人扶持(紋立花桔梗)德田純作」を擧ぐ。 2丹波の德田氏氷上郡の名族にして、丹波志に「權頭云々。德田氏。子孫母坪村、右の二株は古家なり。子孫七代目德田藤四郞、」とあり。 3石見の德田氏那賀郡の德田村より起る。同村德田城主德田刑部少輔兼行は、石見志に「福屋氏家老福屋氏の支流乎。永祿五年三月、福屋隆兼に隨ひて出雲に行き、後大和阿波に漂浪す、」と。忠勇の士として知らる。福屋條參照。 4新田氏族吉崎庄兵衞惟忠の子儀兵衞惟員·德田氏を稱す。その子儀兵衛惟望、金之助惟之なりと(新田族譜)。 5雜載此の氏は、德川時代·二本松丹羽藩用人、鯖江間部藩重臣、新谷加藤藩重臣たり(武鑑)。又水戸藩士に德田五左衞門(二百五十石)あり、錦江と號す。史館總裁となる。又薩摩の軍學者に德田邑興齋·山縣大貳の門なり。又香宗我部家臣に德田彥右衞門·見え、又備前、伊勢、志摩等に存す。

姓氏家系大辞典 第4巻 282コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

徳田と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

徳田に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が徳田の前後にある名字です。

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