得田

とくだTokuda

全国7444位 ・ 約1,190人

得田(とくだ)は、次条と通じるので、併せて見よ。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
とくだ
ローマ字
Tokuda
全国順位
全国7444位
推計人数
約1,190人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

得田をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Tokuda読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 能登国(石川県)
  • 佐渡国(新潟県)
  • 伯耆国(鳥取県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

得田(とくだ)は、次条と通じるので、併せて見よ。能登(石川県)の得田氏は、当国の著姓で、羽咋郡得田荘から起こる。この荘のことは、得田氏の嘉暦・建武・貞治・応安・応永・明徳等の文書に見える。 「得田家譜」によれば、「源平の頃、得田次郎章通に功があり、頼朝より能州四か一を賜り、羽咋郡土田得田を領して得田に居城した」とある。土田の条を参照。 「三州志」の徳田城(土田荘徳田村)の条には「得田佐渡守が居城したという。考えるに、佐渡守盛章から十四代の祖・得田次郎章通が頼朝公より得田保地頭職に補せられ、 これより代々羽咋郡土田得田の領主となって得田に居城したと得田譜に見えるので、この城の由緒は疑うべきではない。天正年間、謙信乱入の時、盛章および嫡男伯耆盛芳はともに能州荒山で戦死した。 得田代々の位牌は、館開村道興寺にあるという。また鹿島郡小島村徳雲寺の由来記にも、この寺は初め徳田村にあって、徳田代々の菩提所であったとある(土田の条を参照)。 得田の正統は、長甲斐守家臣・得田波江であり、藩臣の左膳および吉崎由右衛門は、みな末流である。 「新井白石遺考」には、徳川を「東鑑」に得江と書き、またその後の旧記に得川と記していることを載せる。よって昔は得と徳とを通用していたと見える、とある。 この氏は上杉氏に攻められて滅んだ。南北朝の頃、得田章房がいた。鹿島郡金丸城(金丸保)の条に「応安二年四月二十八日、橋井直常の一党が能州へ乱入した際、 得田加賀介章房が金丸城に到って吉見左馬助に属し、連日合戦したことが、章房が申し立てた軍忠古状の中に見える。この後二百余年間の古記は得られない」とある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

得田トクダ次條と通ず、併せ見よ。能登の得田氏當國の著姓にして、羽昨郡得田庄より起る。この莊の事は、得田氏·嘉曆、建武、貞治、應安、應永、明德等の文書等に見え、而して得田家譜に據るに「源平の頃、得田次郎章通·功あり、賴朝より能州四ヶ一を賜はり、羽昨郡土田得田を領して、得田に居城す」と。土田條參照。三州志、德田城(土田荘德田村)條に「得田佐渡守·居たりと云ふ。按ずるに、佐渡守盛章より十四代の祖得田次郎章通·頼朝公より、得田保地頭職に補せられ、是より代々羽咋郡土田得田の領主となりて、得田に居城すと、得田譜にみえたれは、此の城述たること疑ふべからず。天正中、謙信亂入の時、盛章、及び嫡男伯耆盛芳とも、能州荒山にて戰死也。得田代々の位牌は、舘開村道興寺にありと云ふ。又鹿島郡小島村德雲寺の由來記にも、此の寺初め德田村に在つて、德田代々菩提所とあり。(土田條參照)。得田正統は、長甲斐守家臣得田波江にして、藩臣左膳、及び吉崎由右衞門、皆末流なり。新井白石遺考に、德川を東鑑に得江と書し、又其の後の舊記に得川と記することを載す。然れば古へ得と德との通じ用ひしと見ゆ」とあり。この氏は上杉氏に攻められて亡びし也。南北朝の頃。得田章房あり、鹿島郡金丸城(金丸保)條に「應安二年四月二十八日、橋井直常の徒·能州へ亂入の處、得田加賀介章房·金丸城に到リ吉見左馬助に屬し、連日合戰のこと、章房申軍忠古狀中に見ゆ。此の後二百餘年間の古記を得ず」と。

姓氏家系大辞典 第4巻 282コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

得田と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

得田に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が得田の前後にある名字です。

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