丸に花菱

平石

ひらいしHiraishi

全国1198位 ・ 約1.5万人

平石(ひらいし・ひらいわ)は、河内・上野・岩代などにこの地名がある。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
ひらいし
ローマ字
Hiraishi
全国順位
全国1198位
推計人数
約1.5万人
全国比率
日本人のおよそ0.012%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

平石をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Hiraishi読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「平石」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第5巻 257コマに「家紋·丸に花菱、井筒」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 河内国(大阪府)
  • 岩代国(福島県)
  • 山城国(京都府)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

平石(ひらいし・ひらいわ)は、河内(大阪府)・上野(群馬県)・岩代(福島県)などにこの地名がある。 【1】河内の平石氏 ― 石川郡平石邑から起こる。平石城(白木村平石)は「太平記」所載で、もと平石氏累代の居城であったという。楠木合戦注文に平石山城五郎を載せ、また平石茂吉の後裔・左衛門尉茂直は、元弘年間に賊軍と戦って死んだ。 この城は元弘二年、楠木正成の属城となり、後にまた正儀の十七支城の一つとなり、福塚・川辺・左良階・当木・岩郡・橋本判官らが五百余騎で守ったが、正平十四年閏四月二十九日、足利勢のために陥落した。また持尾城(河内村持尾)も楠氏の属城の一つで、平石氏の兵が拠った。 【2】奥州(東北地方)菊池氏族 ― 岩代国安達郡平石邑から起こる。同地の高田館には平石甲斐武頼が住んだ。石橋久義の旗下であったが、大内氏の非義に与しなかったものの、天正十三年八月、小手森とともに落城した。この人は四本松に住んだ菊池武則の孫だという(「相生集」)。甲斐守武頼のことは「石橋」の項を参照せよ。 【3】豊前(福岡県・大分県)の平石氏 ― 田川郡の豪族で、応永・正長の頃、平石豊弘がある。 【4】雑載 ― 武蔵(東京都・埼玉県)・伊勢(三重県)・志摩(三重県)・石見(島根県)などにこの氏が存する。 (このあと原文の組版が乱れ、別の記事の一節が紛れ込んでいる)「握手の諸勢が乱れ入る。常治は心静かに本丸へ引き取り、自害した。四年の春から須古城を取り立てられたのは、有馬氏が強敵であるため、御身を須古へ移らせ、手立てを講じるべしとの内意による」。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

平石ヒライシヒライハ河内、上野、岩代等に此の地名存す。 1河内の平石氏石川郡平石邑より起る。平石城(白木村平石)は太平記所載、もと平石氏累世の居城なりと。楠木合戰注文に平石山城五郞を載せ、又平石茂吉の後裔左衞門尉茂直は、元弘年間、賊軍と戰ひて死す。當城は同二年、正成の屬城となり、後又正儀十七支城の一となり、福塚、川邊、左良階、當木、岩郡、橋本判官等、五百餘騎にて據守せしも、正平十四年閏四月廿九日、足利勢の爲陷らる。又持尾城(河内村持尾)も楠氏屬城の一にして、平石氏の兵據る。 2奥州菊池氏族岩代國安達郡平石邑より起る。同地高田館には平石甲斐武賴住す。石橋久義の旗下なりしに、大內が非義に組せざるも、天正十三年八月、小手森とともに落城す。此の人は四本松に住せし菊池武則が孫也(相生集)と云ふ。甲斐守武賴の事は石橋條を參照せよ。 3豐前の平石氏田川郡の豪族にして、應永正長の頃、平石豐弘あり。 4雖我武藏、伊勢、志摩、石見等に此の氏存す。握手の諸勢·亂れ入る。常治·心靜かに本丸に引入り自害しけり。四年の春より須古城を御取立あり、其の故は有馬氏·强敵なれば、御身·須古に移らせ給ひ、御手立あるべしとの内意なり。

姓氏家系大辞典 第5巻 257コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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