輪違い

小長谷

こながやKonagaya

全国3335位 ・ 約3,850人

小長谷(おはせ・こながや)は、小泊瀬とも書く。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
こながや
ローマ字
Konagaya
全国順位
全国3335位
推計人数
約3,850人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「小長谷」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第1巻 520コマに「家紋花輪違、上り藤」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 信濃国(長野県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

小長谷(おはせ・こながや)は、小泊瀬とも書く。信濃(長野県)にあり、尾花沢氏も小泊瀬とも書く。また中古、地名を二字とする勅名により、約めて小長とも小谷とも記載される。武烈天皇の御名代部である小長谷部より起こる。「おはせべ」の項を参照。 【1】小長谷造 ― 小長谷部の伴造で、多臣の一族である。「神武段」に「神八井耳命は意富臣(多臣)・小長谷造・科野国造云々などの祖である」と見えるものの後である。……(中略) 【3】小長谷直 ― 信濃国造の一族である。この国造は第一項に見えるように小長谷造と同族であるから、この直は小長谷造と一族の関係を有する。思うに信濃国造家の人が京に上って武烈天皇に仕え、その御名代部の伴造となって小長谷造と称し、一族で国に帰った者は、国造のかばねである直を称して小長谷直となったものと考えられる。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

小長谷ヲハセコナガヤ小泊瀨ともあ信濃にあり、尾花澤氏小泊瀨ともあり、又中古地名を二字とする勅名により、約めて小長とも小谷とも記載さる。武烈天皇の御名代部なる小長谷部より起る。ヲハセベ條を見よ。 1小長谷造小長谷部の伴遺にして多臣の族也。神武段に「神八井耳命は意富臣(多臣)、小長谷造、科野國造云々等の祖也、」と見ゆる後也。……3小長谷直信濃國造の一族なり。此の國造は第一項に見ゆる如く、小長谷造と同族なれば、此の直は小長谷造と一族の關係を有す。蓋し信濃國造家の人·京に上りて武烈天皇に仕へ、その御名代部の伴造となりて小長谷造と云ひ、一族の國に歸りしものは、國造のカバネなる直を稱して小長谷直となりしものと考へらる。

姓氏家系大辞典 第1巻 520コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ漢字を使う名字

小長谷に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

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