丸に釘抜

小貫

おぬきOnuki

全国1976位 ・ 約7,780人

小貫(おぬき・こぬき)は、常陸・下野・磐城などにこの地名があって、数流の小貫氏を起こす。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
おぬき
ローマ字
Onuki
全国順位
全国1976位
推計人数
約7,780人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

小貫をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Onuki読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「小貫」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第1巻 506コマに「家紋丸に釘拔、ことも5結城氏流磐城國白河郡小貫邑より起る」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 磐城国(福島県・宮城県)
  • 常陸国(茨城県)
  • 若狭国(福井県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

小貫(おぬき・こぬき)は、常陸(茨城県)・下野(栃木県)・磐城(福島県・宮城県)などにこの地名があって、数流の小貫氏を起こす。 【1】秀郷流藤原姓小野崎氏族 ― 常陸国久慈郡小貫邑から起こる。小野崎系図に「小野崎下野守通春の子・通伯(法号叔方)が小貫の祖」とある後である。小野崎・江戸・大塚の三氏とともに佐竹家四天の宿老と称せられた。小貫城(小貫村)は嘉慶二年戊辰、小野崎若狭守為常が築き、後に小貫兵庫頭が住んで、その八世・盛通に至る。後に太田に住み、慶長七年、○三郎某が佐竹義宣に従って秋田に移った。また行方郡に堀内城がある。慶長元年、佐竹義宣の家臣・小貫大内蔵が築き、慶長七年に羽州(山形県・秋田県)へ移って廃された。 【2】清和源氏武田氏流 ― 常陸国行方郡小貫邑から起こる。「新編国志」に「小貫、武田昌信の二子・信次は武田源三郎と称した。康正元年、小貫に塁を築いてここに居た。その子・信重は小貫源二郎と称し、信之は小貫源之介と称して、下総(千葉県・茨城県)に去って住んだ」と見える。 【3】紀姓下野紀党 ― 下野国芳賀郡小貫邑から起こる。益子系図に「勝宗(信濃守、入道顕虎、天文七年戊戌九月卒)-高定(紀十郎、芳賀家督、芳賀左衛門大夫と号す)-信高(小貫六郎、同郡小貫○を領す)」と見える。「宇都宮興廃記」に「芳賀十郎高定が実子・六郎信高を小貫○にて小地を奥に置いた、云々」とあり、弘治年中のこととする。その子を主膳信家といい、「国志」に「安養寺は小貫村にあり、本願・小貫主膳信家が父・信高のために建立したものである」とある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

小貫ヲヌキコヌキ常陸、下野、磐城等に此の地名ありて數流の小貫氏を起す。 1秀〓流藤原姓小野崎氏族常陸國久慈郡小貫邑より起る。小野崎系圖に「小野崎下野守通春の子通伯(法號叔方)、小貫祖とある後也。小野崎、江戶、大塚三氏と共に、佐竹家四天の宿老と稱せらる。小貫城(小貫村)は嘉慶二年戊辰、小野崎若狹守爲常築く、後小貫兵庫頭住し、其の八世盛通に至る。後太田に住し、慶長七年、〓三郞某、佐竹義宣に從ひ、秋田に徒る。又行方郡に堀內城あり。慶長元年、佐竹義宣の家臣小貫大内蔵築(、七年羽州に徒り廢す。……2〓和源氏武田氏流常陸國行方郡小貫邑より起る。新編國志に「小貫、武田昌信の二子信次、武田源三郞と稱す。康正元年·小貫岩を築て此に居る。二子信重、小貫源二郞と稱し、信之小貫源之介と稱す、去て下總に住く」と見ゆ。 3紀姓下野紀黨下野國芳賀郡小貫邑より起る。益子系圖に「勝宗(信濃守、入道顯虎、天文七年戊戌九月卒)-高定(紀十郞、芳賀家督、芳賀左衞門大夫と號す。)信高(小貫六郞、同郡小貫〓を領す)」と見えたり。宇都宮興廢記に「芳賀十郞高定が實子六郞信高を、小貫〓にて小地を奥へおきたリ云々、」弘治年中の事とす。其の子を主膳信家と云ふ、國志に「安養寺は小貫村にあり、本願小貫主膳信家が、父信高のために建立する所なリ」とあり。

姓氏家系大辞典 第1巻 506コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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小貫に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

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